2日、午後のNHKラジオの番組で「文化講演会・セレクション」を聴いておりました。昨年の10月20日に放送された講演の再放送になります。
作家の町田康の語る太宰治を読み解く講演でした。太宰治の作品を読み解く町田康の文学談義を面白く聴きました。
参照:文化講演会「生誕110年 町田康と読む太宰治~苦しみから生まれる文学」
https://www.youtube.com/watch?v=QDm-eLfGGuY
ボタン(牡丹)の花が満開で見頃を迎えています。寒牡丹は白、赤、ピンク色の大輪の花で華やかです。
新年、明けましておめでとうございます。
「初富士の抱擁したる小漁村」
「ややねびし人の春著(はるぎ)の濃紫」
「大幅の楷書に浮ぶ寒牡丹」
松本たかしの俳句で、昭和十八年(1943年)の句です。
冬咲きの牡丹(ボタン)が開花している。黄色、白、赤、ピンクの八重咲きで、豪華な大輪の花は見ごたえがあります。
ボタン科の落葉低木。高さ一~二メートル。葉は大きく、羽状複葉で、互生する。五月ごろ、白・紅・紫・黄色などの大形の花が咲く。花びらは五~八枚あるが、重弁や二段咲きなどさまざまな園芸品種があり、寒牡丹もある。根皮を漢方で女性の浄血薬などに用いる。中国の原産で、古くから栽培。花の王とよばれ、二十日草(はつかぐさ) ・深見草(ふかみぐさ)・名取草(なとりぐさ) などの異称もある。ぼうたん。 『大辞泉』
「塔の上の鐘動き鳴るクリスマス」
「飾られてクリスマス待つホテルかな」
「松本たかし句集」より、クリスマスを詠んだ句を引用。
クリスマスといえば、先日ジェシー・ネルソン監督の映画『クーパー家の晩餐会』(2015年、アメリカ、107分、カラー、blu-ray 日本語字幕、日本語吹替)を観ました。出演が、ダイアン・キートン、ジョン・グッドマン、アマンダ・セイフライド。
《4世代11人のクーパー一族が集まるクリスマスイヴ。シャーロットは夫との離婚話を内緒にして、最高の晩餐会にしようと決意する。しかし、集まってきた家族も皆、秘密を抱えており、ディナーは予期せぬ方向に・・・。》
11月に開催された広島国際映画祭2019で、「大林宣彦監督セレクション」と題して四作品が上映された。
『野のなななのか』(2014年)、『異人たちとの夏』(1988年)、『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986年)、『あした』(1995年)。
『野のなななのか』(2014年、平成26年、芦別映画製作委員会、PSC、171分、カラー、Blu-ray)
出演、品川徹、寺島咲、常盤貴子、山崎紘菜。
北海道、芦別市。医師を辞めて古物商を営む鈴木光男(品川徹)が92歳で他界した。離れ離れに暮らしていた鈴木家の人々が光男の葬儀のために古里に集まり、そして、謎の女・清水信子(常盤貴子)も舞い戻る。死者と生者、過去と現在が入り交じり、戦争の時代の光男の過去が浮かび上がる・・・。
『野ゆき山ゆき海べゆき』(1986年、昭和61年、日本テレビ放送網、ATG、バップ、135分、カラー、35ミリ)
出演、鷲尾いさ子、佐藤浩市、林泰文、三浦友和。
原作は、佐藤春夫の小説『わんぱく時代』。主人公の総太郎(林泰文)は、年上の少女・お昌ちゃん(鷲尾いさ子)に思いを寄せ、ガキ大将たちと戦争ごっこを繰り広げる。尾道や鞆にロケーションし、戦争が影を落とす時代の少年の日々を描く。
22日の『野のなななのか』、23日の『野ゆき山ゆき海べゆき』の上映後に監督のトークがあった。
各回とも、ステージで司会者の質問に監督が答える形式でのトークであった。
『野のなななのか』の上映後は、大林宣彦監督と映画に出演した芦別の人と女優の常盤貴子さんが登壇。
『野ゆき山ゆき海べゆき』の上映後、最後部の後ろの通路に目と鼻の先に監督が座っておられた。ステージに移動して、ステージで司会者の質問に答えながらのトークショーがはじまった。ゲストに常盤貴子さんが登壇された。
以下、大林宣彦さんの談話メモから。
たまたま個人的に映画をつくりはじめた。
昔から、やろうとしていたことは何も変わっていません。
映画はみんな自分ごとなんですよ。
インディーズにこだわってつくってきた。
過去とはちがったことをやる。
未来の自由をうしなってはだめだぞ。
映像で文学をつくる。
映像純文学というジャンルをつくる。
サザンカ(山茶花)の花が満開である。遠くから見ると、葉に白い雪が積もったように見えた。根元は、散った花びらが白く一面に敷き詰められている。八重咲のサザンカ(山茶花)がちょうど見頃を迎えている。
亜紀書房の新刊、南伸坊著『私のイラストレーション史』を読む。
1960年から1980年までの著者自身のクロニクル(年代記)的な回顧録である。
もくじ
小6から中3まで1959――1962
工芸高校と浪人時代1964――1968
美学校時代1969――1970
『ガロ』編集者時代1972――1980
南伸坊さんが六〇年代と七〇年代に実感した目撃した私的な「日本のイラストレーション史」を書き留めている。
「工芸高校と浪人時代」で、南伸坊さんの高校二年生だった1966年に雑誌『話の特集』が創刊された。
一部引用してみると、
ボクらは高校二年生だった。
一九六六年、この年から横尾さんの怒濤(どとう)の進撃がはじまるのだったが、ボクが感じていたのは、この年こそが憧れの和田誠さんが、日本のイラストレーションの真のリーダーであったことがはっきりした年だということだった。
イラストレーションだけではない。グラフィックデザイン、エディトリアルデザイン、写真、雑誌文化のほんとのリーダーは和田誠だった。
すなわち『話の特集』の創刊である。私が生涯でもっとも心を動かされた創刊号だったと思う。アートディレクターにして、エディトリアルデザイナー、そして影の編集長、それが和田さんだったのだ。それは創刊号を手にとって、すぐにわかった。こんな形の雑誌を作れるのは和田さんしかいない!と高校生は確信していた。
のちに編集者になったことも、宮武外骨に興味を持ったことも、文章を書くようになったことも、イラストレーターになったこともすべてはこの『話の特集』にはじまっている。 71ページ
ハクモクレン(白木蓮)の芽が、青空の方へ伸びて、寒風に吹かれゆれている。
先日、書店のブックフェアに足を止め、亜紀書房と朝日出版社の共同フェアのブックリストの小冊子を手に取りました。南伸坊著『私のイラストレーション史』は、亜紀書房刊の本であったのですね。美学校時代の講師陣や雑誌「話の特集」のアートディレクターだった和田誠さんから受けた影響が語られています。
美学校をめぐるクロニクル的な本がもう一冊、今年は刊行されました。
美学校編『美学校1969-2019 自由と実験のアカデメイア』です。
これは、晶文社から出ました。
美学校の入間分校の写真が掲載されていました。これは、中村宏の油彩画教室の写真でしょうか。