『血と霊』の映画化

 クルミの実が茶色に色づいてきた。

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 「図書」8月号の連載「大泉黒石」12(四方田犬彦)で、今月号のタイトルは、「『血と霊』の映画化」。

 大正十二年(1923年)に大泉黒石が書き上げた『血と霊』という一二〇枚ほどの短編を原作に日活向島撮影所で撮影された映画『血と霊』の顛末が興味深かった。

 一部引用してみると、

 《一九二三年五月、今や押しも押されもせぬベストセラー作家となった黒石は、日活向島撮影所に入社する。本人は最初、俳優部を志望したが、結局、脚本部顧問という地位に落ち着いた。》

 

 当時、監督として前年にデビューした溝口健二が担当することになった。

 この作品は日本で最初の「本格的表現主義映画」という前評判のもと関東大震災の混乱冷めやらぬ東京の劇場で十一月九日に上映がなされたが、黒石と溝口による合作はほとんど評価されることなく、忘却の縁に沈むことになったという。

 

折りとりて花みだれあふ野萩かな

 長くつづいていた雨が止み、ヤマハギが咲きはじめていました。

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マメ科の落葉低木。山野に自生し、枝はあまり垂れない。葉は3枚の楕円形の小葉からなる複葉。秋、紅紫色の蝶形の花が咲く。庭木にする。  『大辞泉

 秋の七草とは、ハギ(萩)、オバナ(尾花)、クズ(葛)、ナデシコ(撫子)、オミナエシ(女郎花)、フジバカマ(藤袴)、キキョウ(桔梗)の七つですが、オバナはススキの別名ですね。

 

 「折りとりて花みだれあふ野萩かな

 飯田蛇笏の俳句で、昭和六年(1931年)の句です。

夏の夜のラジオ番組

 NHKラジオの番組で「高橋源一郎と読む“戦争の向こう側”2021」を聴く。

 《「戦場に行った作家たち」をテーマに、林芙美子古山高麗雄の作品から「戦争とは何か」を考える。【司会進行】作家・高橋源一郎、詩人・伊藤比呂美【ゲスト】女優・鈴木杏

 前半は作家の林芙美子の作品「戦線」、「ボルネオ ダイヤ」の一部を朗読。
 当時の‭大ベストセラー作家林芙美子が従軍作家として体験した昭和13年の戦争観をめぐり語られる。

 後半は古山高麗雄の作品「白い田圃」「蟻の自由」の朗読と古山高麗雄林芙美子の戦争体験をめぐり微に入り細をうがつ対談。
 従軍作家と従軍兵士の眼から見た戦争観の対比などに注目。
 番組の終わりにワールドワイドな生き方をした詩人金子光晴の詩「洗面器」、洗面器でおしっこする女の詩を伊藤比呂美さんが朗読。

 

 戦場に行った作家たち①~林芙美子~|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

戦場に行った作家たち②~古山高麗雄~|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる

高橋源一郎と読む“戦争の向こう側”2021 - YouTube

「ボルネオ ダイヤ」https://www.aozora.gr.jp/cards/000291/files/57375_60809.html

 

 

映画『幸せの答え合わせ』

 イギリス南部の海辺の町シーフォードを舞台にした、もうすぐ結婚29周年を迎えようとしている熟年夫婦の離婚を描いた映画。夫のエドワード(ビル・ナイ)は高校で歴史を教えている教師。妻のグレース(アネット・ベニング)は退職して詩集を編んでいる。一人息子のジェイミー(ジョシュ・オコナー)は独立して今は都会に住んでいるが、久しぶりにある日、シーフォードで週末を過ごそうと帰郷した。両親が平穏な生活を送っていると思っていた一人息子のジェイミーだったが、その週末に実家の父親のエドワードが妻のグレース(強引で正義感を相手に強要する)に我慢できなくなって「家を出ていく」と突然に告げて本当に出て行った。口を開けて驚くグレースとジェイミー。妻のグレースがエドワードを平手打ちし台所のテーブルをひっくり返し大暴れをする。

 別居した両親のあいだで弁護士を交えての離婚調停にジェイミーはなんとか平穏に進めたいと骨を折るのだったが・・・。

 原題:Hope Gap。

 シーフォードの町に隣接する白い白亜(チョーク)の壮大な断崖絶壁の崖の上をグレースとジェイミーが並んで歩く姿に大自然の壮観な風景と小さな人の対比が印象的なシーンだ。

 ウィリアム・ニコルソン監督自身の実体験を元に作られた映画という。 

https://www.youtube.com/watch?v=IwLX9LxfppE

胡桃落つ日の夜となれば月明かく

 青空を背にしてクルミが実っていました。鈴なりのクルミの実はまだ緑色をしています。

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オニグルミの果実。また、クルミクルミ属の落葉高木のオニグルミ・テウチグルミなどの総称。果実は丸く、肉質の外果皮と堅い内果皮に包まれた子葉部分を食用にする。  『大辞泉

 大辞泉の引用句は、
 
 「胡桃落つ日の夜となれば月明かく」(中村汀女

 

 昭和十一年(1936年)の中村汀女の俳句です。
 仙台に住んでいた家の庭に胡桃(クルミ)の大樹があり、胡桃のある句を三句詠んでいます。そのうちの一句が上記の句になります。

 残りの二句は、

 「晴れし日の胡桃の落つる音と知る
 「土地の娘が仕えてぞ割る胡桃かな

 

昼中の堂静かなり蓮の花

 朝早くからアブラゼミが鳴きはじめました。最高気温34℃。
 蓮の花が、風に吹かれ、ゆれています。

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 「昼中の堂静かなり蓮の花」 

 正岡子規の俳句です。明治二十七年(1894年)の句で、前書きがあり、「不忍池」とあります。

輸送船が出た港

 今月の新刊で堀川惠子著『暁の宇品』を読んだ。

 陸軍船舶司令部、暁(あかつき)部隊の跡地と旧陸軍桟橋を訪れた。船舶司令部跡は公園になっています。陸軍桟橋の跡地は埋め立てられて宇品波止場公園となり、陸軍桟橋の一部が保存されていました。

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 古山高麗雄著『片乞い紀行』の「輸送船が出た港」につぎのように書かれています。

 《宇品に行ってみようと思った。
 あの宇品が、広島市のどのあたりにあったか、それとも、市の外にあったのか、忘れてしまっている。むろんそんなことは、地図を見ればすぐわかるわけだが、地図好きの私が、広島の地図を持っていない。で、交通公社の時刻表についている索引地図をひらいてみたが、宇品という文字は出ていない。
 かつては著名な地名だったが、終戦と共に消えてしまったのか? なにしろ、あれは、戦争に縁の深い地名だったから。宇品と言えば輸送船、輸送船といえば宇品。あるいは、佐世保など、輸送船の出入りする港は、ほかにもあったのだろうが、私は、兵隊が外地に送られるときは、宇品から出港するものだと思い決めていた。そして、自分が兵隊にとられて南方に送られたとき、実際に宇品で輸送船に積み込まれたので、宇品と輸送船とは、私の心の中で、ますます固く結びついてしまった。》

 《陸軍一等兵の私が、そこから輸送船に積まれて南方に送られたのは、昭和十八年の五月だった。仙台から広島まで汽車で来て、プラットフォームのない所で降りた。だから正確に言えば、広島駅から歩いたわけではないが、あれは、駅からそう遠くない場所であったような気がする。
 そこから宇品まで、鉄砲を担いで、雑嚢と水筒を羽交にかけて、ズックの背嚢を背負って、歩いた。それほどの道のりではなかったような気がする。そのときのことはしかし、断片的にしか憶えていない。そしてその断片は、ごく少量である。仙台の歩兵第四連隊を出発してからのことを思い出そうとしてみたが、いくらも憶えていない。》