無花果にゐて蛇の舌みえがたし

 秋晴れで、最高気温30℃。
 やや小ぶりの大きさであるが、街路樹のイチジク(無花果)の実が熟して食べ頃になった。

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 「無花果にゐて蛇の舌みえがたし

 飯田蛇笏の昭和十三年(1938年)の俳句です。

 

 集英社のPR誌「青春と読書」6月号に、『世界の凋落を見つめて クロニクル2011ー2020』という新書の著者、四方田犬彦さんへのインタビューで本のタイトルに込められた思いが語られていました。

 一部引用すると、

 《要するに、世界・宇宙というのは、無の状態から徐々に栄えて、その後どんどん凋落していき、一度ゼロすれすれにまで戻るけれどもまた復活する。こうした循環するという考え方のほうが、一回限りのハッピーエンドとして終末を迎えるというのよりも希望をもてますよね。だから凋落という言葉には、そこですべてが終わるということではなく、復活・再生への契機が孕まれているわけです。
 ちょっと詩的ないい方をすれば、春夏秋冬の秋ですね。『中世の秋』というホイジンガの名著がありますが、秋は冬を間近にした凋落の時期ではあるけれど、冬を越えればルネサンスという華やかな春が待ち受けている。「いま、世界は秋のさなかにある」なんていうと、いささか綺麗すぎますけれど、凋落というのはそのぐらいの意味で使いたいと思っています。》

 参照:『世界の凋落を見つめて』刊行 四方田犬彦に聞く「クローズアップで捉えた十年間のドキュメンタリー」
http://seidoku.shueisha.co.jp/2106/index.html
http://seidoku.shueisha.co.jp/2106/read04.html

聞き手・構成=増子信一。撮影=神ノ川智早。

 

 

『ビートルズ革命』のこと

 緑色の細長いカラダの昆虫が地面にいた。指で捕まえようと近寄ると、ぴよんと跳ねて前へ進み取り逃がした。後で調べるとショウリョウバッタだった。

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バッタ科の昆虫。体は細長く、頭部は長三角形に突き出し、前翅(まえばね)の先がとがる。雌は体長約八センチ、雄は約四センチ。飛ぶときにキチキチという音を出す。草原にすむ。きちきちばった。こめつきばった。 『大辞泉

 岩波書店のPR誌「図書」10月号に片岡義男の連載の「CDを積み上げる」は、今月のタイトルは「あの頃はどんな頃なのか」で、《フランス・ギャルのCDを、三枚続けて聴いてみた。》と冒頭の一文から始まる音楽エッセイ。「夢見るシャンソン人形」と「すてきな王子様」の二曲をフランス・ギャルは日本語でも歌っている。
 片岡義男の本で最初に買ったのは、片岡義男訳の『ビートルズ革命』であったのを思い出した。『ローリング・ストーン』誌の編集長ヤーン・ウェナーがジョン・レノンオノ・ヨーコにインタビューしている本です。

 

鴨長明ハイカラ説

 朝晩は過ごしやすくなったが、昼間はまだまだ暑い。最高気温30℃。
 日を浴び、鮮やかな色の百日草が、咲きつづけている。暑さに強く初夏から晩秋まで長く咲く花です。丈夫で乾燥にも強い。茎が直立して背が高くなり、育てやすい花ですね。花はつぎつぎと百日以上も咲いています。

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 五木寛之の『箱舟の去ったあと』という対談集(五木寛之討論集)にある稲垣足穂との対談「反自然の思想」に鴨長明について語られている。

 

 五木 たとえば鴨長明なんかが当時仲間を集めて、唐渡りの酒を飲んで、琵琶かなんか弾いて一晩じゅう騒いで、秘曲という、弾いてはいけない曲をそこで演奏して、それを讒訴(ざんそ)されてガックリきて、ついには山へ籠ったりするわけなんだけれども、それを考えてみますと、当時の琵琶なんていうのは、外国から入ってきた新しいエキゾティックな楽器だったと思うんですね。ですから、いまでいうと、エレキギターみたいなものだったと思います。それで大陸人みたいな格好をして、いまでいうマリファナみたいな外国渡りの酒を飲んで、一晩じゅうエレキを弾きまくっていた。そういう男だと思うとちょっと愉快になってくる。
 稲垣 ハイカラな人です、あれは。
 五木 ぼくもそう思いますね。はじめっから世捨人みたいに思っていたけど。
 稲垣 あんたのようにハイカラでなければあんな文章書けませんよ。
 五木 からかわないでください。(笑)しかし鴨長明イカラ説というのは、ぼくはごくまっとうな見方だと思うんですよ。ですから、笙(しょう)とか篳篥(ひちりき)とかああいう楽器にしても、いまでいうハモンドオルガンとかフリュートみたいなものだと考えられる。当時のモダン・ボーイが集まってビートルズのまねやっていたんです。

 

 付記、この対談は、五木寛之対話集『正統的異端』(深夜叢書社)に、「反自然の思想を論ず」というタイトルで再録されています。

 

 

 

どんぐりと対話集

 街路樹にドングリ(団栗)が実っている。
 粗樫(アラカシ)で、まだ若いドングリである。幹の周囲に一部の実が落ちていた。

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ブナ科の常緑高木。本州中部以南の山地に自生。樹皮は緑がかった灰色。葉は堅く、楕円形で先半分の縁にぎざぎざがある。春、尾状の雄花と上向きの雌花とをつける。実はどんぐり。材は家具や木炭にする。くまかし。  『大辞泉

 対話集を読む。『五木寛之対話集 正統的異端』である。

 対話者

 井伏鱒二
 中井英夫
 武田泰淳
 深沢七郎
 稲垣足穂
 塚本邦雄
 寺山修司
 武満徹
 埴谷雄高

 埴谷雄高五木寛之の対話が興味を引く。澁澤龍彦の翻訳したマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』が1960年に、猥褻文書として摘発された。埴谷雄高は「サド裁判」の特別弁護人を務めていた当時の話を語っている。貴重な証言ですね。二人が語るロシア文学の話もめっぽう面白い。

 

 

映画『いぬ』のベルモンド

 彼岸花ヒガンバナ)が道端に見られる季節になりました。
 赤い花の鮮やかさが、周囲に広がる緑色のヨモギを背景にしてひときわ目立ちます。

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ヒガンバナ科多年草。土手や田の畦に生える。秋の彼岸のころ、高さ約三〇センチの花茎を伸ばし、長い雄しべ・雌しべをもつ赤い六弁花を数個輪状につける。花の後、線形の葉が出て越冬する。有毒植物であるが、鱗茎(りんけい)を外用薬とする。曼珠沙華(まんじゆしやげ)。  『大辞泉

 先日、フランスの俳優ジャン=ポール・ベルモンドさんが亡くなったとニュースで知りました。

 今年の3月に「ミシェル・ピコリ追悼特集」があって、その一本ですが、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の映画『いぬ』(1962年)(原題:Le Doulos)がジャン=ポール・ベルモンド主演のギャング映画でした。ギャングの男たちの裏切りと疑心暗鬼と友情、悲劇的なラストまでノンストップでハラハラドキドキして観ていました。トレンチ・コートにソフト帽が似合うベルモンドがかっこよかった。

 カメラワークも素晴らしい。
 ジャン=ピエール・メルヴィル監督のフィルム・ノワール映画の傑作です。

「波」8月号から

 秋に熟す果実で、ザクロ(柘榴)が実っていた。触ると硬いですね。直径、八センチ位のボール状の果実で、果皮はまだ割れていない。熟すと割れて中の果肉が見えるようになります。

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 「波」8月号の特別エッセイ「ミニシアター巡礼が私を作った」(太田和彦)を愉しく読みました。

 一部引用すると、

《古い作品を観続けるうち、いつしか「日本映画特有の表現とは何か」を考えるようになった。きっかけは1974年のフィルムセンターの特集「監督研究:清水宏石田民三」だ。以降両監督の上映は欠かさず追いかける。文芸の研究に全作読破は必須だが、映画は上映が他力本願ゆえ、なかなか全作までは辿り着けず、貴重な機会を出張などで逃すとまた20年後になるのは普通だ。苦節ン十年、両監督の現存作ほぼ9割は消化した。全作すばらしいが代表作を挙げておくと、清水「按摩と女」「小原庄助さん」「蜂の巣の子供たち」、石田「むかしの歌」「花つみ日記」「化粧雪」あたり。共通するのは、劇性よりも情感を重んじ、人物を風景に溶け込ませ、日本画における余白の如き部分を大切にする、だろうか。》

 小学館文庫の太田和彦著『シネマ大吟醸』を思い出しました。

 文庫の解説が佐藤忠男さん。

 

 

 

いちじくをもぐ手を伝ふ雨雫

 

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 曇り空で気温が高い日々がつづく、最高気温32℃。

 イチジクが大きくなっていたので、近くに寄って観察した。
 手で触ると、イチジクはまだ硬くて食べごろではなさそうだった。
 食べごろに色づくには、もう少し日にちがいるだろう。

 ところで、昆虫少年をしていた頃の話である。
 イチジクを栽培している農家からよく貰って食べていた。大量に貰った時はイチジクはジャムにして食べていた。
 イチジク畑にはカミキリムシがいて夏休みに採集していたことがある。
 キボシカミキリだった。
 幹に穴を開けるのがこのキボシカミキリで、栽培農家は畑のイチジクの木に穴を開け卵を産むキボシカミキリを駆除するために、当時、小学生にキボシカミキリを採らせ、10匹で鉛筆一本を交換するということをしていた。
 

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クワ科の落葉高木。高さ約四メートル。葉は手のひら状に裂けていて、互生する。初夏、卵大の花嚢(かのう)を生じ、内部に多数の雄花と雌花をつけるが、外からは見えない。熟すと暗紫色になり、甘く、生食のほかジャムなどにする。茎・葉は薬用。寛永年間(一六二四〜一六四三)に渡来した。日本のものは雄花を欠き、挿し木でふやす。いちじゅく。  『大辞泉

 

 

 『大辞泉』の引用句は、

 「いちじくをもぐ手を伝ふ雨雫」(高浜虚子