2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

伊藤逸平の雑誌「VAN」のこと

日が暮れて、南の空に月が眺められた。上弦の月である。高度は三十度くらいかな。 吉行淳之介の『街角の煙草屋までの旅』(講談社文庫)から、「街角の煙草屋までの旅」を読む。久しぶりに読み返した。旅とは何か、ヘンリー・ミラー自身が書いている文を引用…

老いを追い抜く話

晴れて日差しが強い。快晴である。歩道の植え込みに彼岸花が密集して植えられていた。赤い色が目が覚めるように鮮やかだ。 ヒガンバナ科の多年草。土手や田の畦に生える。秋の彼岸のころ、高さ三〇センチの花茎を伸ばし、長い雄しべ・雌しべをもつ赤い六弁花…

映画『ゆれる』と『ニュー・シネマ・パラダイス』

荻上直子の映画『かもめ食堂』を観たときに、西川美和監督の『ゆれる』の予告篇を観たのだった。あの時は、観終わったあと、なぜかおにぎりを食べたくなった。九月二日から上映されているが、十月六日までなのでまだあると思っていたら、上映回数が減ってい…

満天の星

二十三日は秋分の日であった。秋の彼岸の中日にあたる。日の出と日の入りが、真東と真西になり昼夜の長さが等しくなる。 昨夜の夜半に、月が出ていないので満天の星や天の川が眺められた。地上では虫の鳴き声がリーンリーンと聞こえて来るのだった。『蕪村句…

貸本マンガのこと

朝晩は少し肌寒いが、日中の日差しは強くまだ暑い。川を渡っているときに、クロアゲハがふらふら川を渡るのに橋を経由して渡っていた。 午後八時ごろの南西の空に木星が見られた。天頂にこと座のベガを眺める。西の空にオレンジ色の光りを放っているのは、う…

ロダーリの『猫とともに去りぬ』

秋晴れの天気。日差しが強くてまだ暑い。街路樹の葉が枯れたようになっていて、台風に痛めつけられた傷痕のようだ。 落下したドングリが、コナラの木の下に散らばっているのが目につく。 書店に寄り道する。光文社古典新訳文庫が創刊されていた。文庫のカバ…

カルデア人と茂田井武の絵

雲ひとつない青空の日だった。日差しがまだ強くて暑いが、雑節でいえば彼岸である。暑さ寒さも彼岸まで、と言うように朝晩はすっかり秋らしくなった。 夕方になると、虫の鳴き声があちこちから聞こえる。リーン、リーン。月は夜空に出ていない。月が出ていな…

女優、竹久千恵子さんのこと

台風が去った後の通りに、風に吹き飛ばされた街路樹からの木の実が散らばっている。ナツメの木の前を通り過ぎる時に、根元の周辺の草むらに紅く熟したナツメが散乱していた。近寄って観察する。ずいぶん大きな実である。ゴロンと転がっている紅い実は、どれ…

ドングリの木

台風一過の青空である。街路樹の葉や枝が道にバラバラに散らばっていた。歩道にも木の実を見た。まだ緑色をしたドングリである。そばに、背の高いコナラの木が立っている。高さは十五メートルはあるか。枝を張ったその下の地面に、数えきれないほどのドング…

雲裡房とは何者か

朝から、風雲急を告げるではないが、雲が西へかなり速い動きで流れて行く。 台風が近づいているからだ。夕方に交通機関が運行中止になる。 『蕪村句集』に、 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉 門前の老婆子(らうばす)薪貪(たきぎむさぼ)る野分かな 二句とも、…

江國滋の『落語美学』

羊雲の広がる空を眺めながら川を渡っていると、上流にボートが小さく見えた。川の中央で向きを変えつつあった。さあ、これから漕ぎ出すかな。と、眺めていると一向に動き出さない。流れに任せてボートが近づいて来ているのだった。漕ぐのを止めて流れて来た…

サトイモ畑にて

サトイモ畑が通り道にあって、葉や茎がなんとなくハスの姿に似ているので立ち止まって見た。畑の一角にサトイモが密集しているのだ。背丈の高いサトイモで、アゲハチョウが一匹いて、舞っている。そばへ近寄って来て、よそへふらふら飛んで行った。葉の表面…

紀伊國屋書店の『scripta』

通りの街路樹にナツメやザクロの木があり、実が生(な)っている。色づいていた。 連日、142857での検索数が増えていたので、なぜかと思っていた。ははーん。調べてみると、Wikipediaでの項目〈142857〉の編集の最終日付が、9月11日になって…

石津謙介の「VAN」と伊藤逸平の「VAN」

昨夜は梅雨入りの時のような雷と雨が降った。落雷の音が爆撃音のように鳴り響く。 昨夜のラジオ深夜便の「サタデートーク〜輝け!熟年」は加賀美幸子アナウンサーの担当日。服飾評論家の石津祥介さんがゲストで、「熟年男性よ、知的な“不良紳士”たれ!」とい…

ハイデッガーの小冊子

八日は、二十四節気のひとつ白露(はくろ)である。秋分の十五日前の日。 晴れて暑い日だった。それでも朝晩は幾分涼しくなる。 正午すぎに、トンボを二匹見た。アキアカネらしい。川からの風に向かって飛んでいた。橋を渡っている間、他のアキアカネの一匹…

我も行人秋のくれ

二百十日に公園の池へ寄り道した。その時、ハスの種子が収まっている花托(かたく)が、何本も茶色に枯れて立っていた。その中にまだ緑色の花托が一本、ハスの葉の中から伸びているのだった。春から初夏にかけて鳴いていたカエルは、ハスの枯れた水面の葉に…

日英交換船のこと

午後、袋町芸術館で「黒田敬子展」を観る。黒田さんの愉しいお話を聞き、会場の作品を味わう。 書店で『図書』2006年9月号をもらう。 『図書』で鶴見俊輔の「翻訳のすきま」という文を読んだ。ここでも、鶴見さんにとっての「日米交換船」というものが…

初秋や余所の灯見ゆる宵のほど

夜が明けると鳴いていた蝉の声が聞こえなくなった。昼間はまだ暑いのだが、朝晩の風に吹かれると肌寒い。夕方、散歩に出かけると聞こえてくるのは虫の鳴き声ばかりだった。 半月が南南東の空に見えた。木星は南南西に高度を下げて眺められた。 『蕪村句集』…

二百十日

今日は雑節でいえば、「二百十日」である。晴れてやや暑い日だった。 立春から数えて二一〇日目、九月一日ごろにあたる。台風襲来の時期で、稲の開花期にあたるため、昔から二百二十日とともに農家の厄日とされる。 『大辞泉』 野尻抱影の『星三百六十五夜』…