「戦後70年特別対談」から2

 「群像」9月号の瀬戸内寂聴×高橋源一郎の「戦後70年特別対談」で、高橋源一郎さんがフィリピンへ戦後七十年目に行った理由を語っていた。


 高橋 実は先月末に、フィリピンへ行ってきたんです。僕のおじたちの慰霊のために。さっき甘粕さんの話をしましたが、高橋家は軍人の家で、上の伯父がシベリアで亡くなり、その次の伯父さんがフィリピンで亡くなっています。うちの父は三男ですが、ずっとシベリアにも、フィリピンにも行きたいと言っていて結局行けなかった。戦後七十年になって、これは僕が行かないといけないかなと思ったんです。  126ページ


 フィリピンで亡くなった伯父さんについて戦没地がバレテ峠とサンマヌエルの二箇所があって、これはどういうことなんだろうと、高橋さんは調べてみました、という。
 大岡昇平の『野火』で書かれたレイテ戦で日本軍が壊滅した後に、ルソン島が戦場になった。

 高橋さんの慰霊の旅について参考になる文と写真がありました。

 参照:伯父さんは戦争へ行ったhttp://www.asahi.com/special/takahashi-genichiro/

 対談を読みながら、フィリピンのルソン島に二度目の報道班員として昭和十九年十二月末に派遣されてマニラへ来た、今日出海の本で『山中放浪』を思い出した。
 この本に、バレテ峠やバギオ、サラクサク峠といった地名が登場する。


 目次
 フィリピン・ルソン島要図(扉裏)
 マニラ退却
   マニラ最後の日
   蛍の国
   対空監視異常ナシ
 山中挿話
   ブシラク村の日々
   里村君のことなど
 山中放浪
   蝙蝠荘
   道遠し
   絶たれた望み
 つぎはぎ飛行機
   住民村
   御来迎
 台湾脱出
  あとがき

山中放浪―私は比島戦線の浮浪人だった (中公文庫 A 123)

山中放浪―私は比島戦線の浮浪人だった (中公文庫 A 123)