杉浦明平の長編小説『赤い水』のこと

杉浦明平の長編小説『赤い水』

 みすず書房から刊行された酒井忠康著『芸術の海をゆく人』を読みました。
 「回想の土方定一」という副題があるように、酒井忠康氏のわが師である土方定一への体験的回想の文章を収めています。
 昨年(2016年)の月刊『みすず』1・2月合併号の「2015年読書アンケート」に、酒井氏が『杉浦明平 暗夜日記 1941―45』を選んでコメントをされていました。

 今回『芸術の海をゆく人』に収録の《暗い夜の時代 杉浦明平の「日記」から》を読むと、杉浦明平の小説『赤い水』を話題にしている。
 以前読んだことがあった。

 酒井忠康氏が話題にしている箇所を引用すると、

 

せんだって幸江(土方)夫人に逢ったときに、いま、杉浦明平の『暗夜日記』というのを読んでいると言ったら、ふっと思い出したように漱石の「坊ちゃん」のごとくおもしろい――と『赤い水』(光文社カッパ・ノベルス・一九六二年)のことを口にされた。
 未読のわたしはさっそくアマゾンで注文して寝床の読書にしたが、戦後、両人(杉浦・土方)が、生きる世界を異にしていても互いに自著を贈り合っていたことを想像して、妙にうれしい気分になった。  60〜61ページ

 杉浦明平の『赤い水』のカバーに、「著者のことば」があります。

ある小さないなか町が、とつぜん温泉が発見されたというニュースにおどろかされる。そのじつは、赤くにごったたまり水にすぎなかったが、町のボスや坊主や県の役人が、闇取引で、あれよというまに温泉に仕立てあげてしまう。このドタバタ芝居に登場するのはみんなはんぱな人間ばかりで、さっぱりまともなことはやらないのだが、その笑いの中に日本の政治のゆがみを写そうというのが、わたしの念願であった。
いなかに生きている人々は、それだけで存在価値をもっている。かれらのよろこびや悲しみは、べつに団地族(だんちぞく)のそれとことならないどころか、ときにはその生活的根強さのゆえに、わたしを感動させる。
そして、政治というものを考えるとき、いなかの政治こそ、大きな国の政治のみごとな縮図のように思われる。だから、人間的なおもしろみが多分にまじったいなかの政治に、私は大きな関心を払わざるをえないのだ。 「著者のことば」


昭和37年9月25日初版発行
昭和37年10月5日8版発行 250円