田中小実昌の『アメン父』を読みながら、大和に我を忘れる

大和

 デイパックに田中小実昌の本を2冊入れて出かけた。『アメン父』と『ないものの存在』だ。『アメン父』は1989年の初版、河出書房新社。初出誌は「文藝」1988年秋号。バブル経済の頃の本だ。電車のなかで『アメン父』を読んでいたらいつの間にか目的地に着いていた。呉駅だ。駅からは高架式の通路をたどって歩いて行く。ショッピング・センターの中を通り抜けると呉市海事歴史科学館大和ミュージアム)の建物が見えた。開館してちょうど一週間たったところだが、館内は混んでいた。

呉には海軍鎮守府があり、巨大な海軍工廠があった。当時のニホンとしては呉の海軍工廠がどんなに巨大な工場であったかは、いまの人たちには想像もできないだろう。北九州の八幡鉄鉱所がニホン一の大工場とされていたが、それよりも大きかったかもしれない。
 海軍工廠がどれほどの規模で、なん人の職工(あとでは工員とよばれるようになった)がはたらいてたなんてことは、時代によってそのていどのちがいはあっても、すべて軍機密だった。また、呉軍港をふくむ地域は要塞地帯で、地図でも白いブランクになっていた。
 だから、呉市の人口も公表されなかったが、ある時期に、広島よりも人口がおおかったことはたしかだ。もともと港町は人口過密だけど、とくに呉の町はひどくて、ニホンでいちばん人口が密集しているところだと言われた。  
 『アメン父』8頁

 館内は幕末から明治、大正、昭和までの呉の歴史を映像で展示した部屋と、1階の吹き抜けの部屋に10分の1のサイズの戦艦大和、大型資料展示室に零式艦上戦闘機六二型、特殊潜航艇「海龍」、特攻兵器「回天」が展示されていた。戦艦金剛(正確には金剛級)に搭載されていたボイラーの実物展示の前に立つと、その大きさに驚く。ここには、船の科学を体験できる3階に宇宙戦艦ヤマトのミニシアターもある。呉空襲の映像による記録展示、昭和16年当時の呉の地形模型の前でコンピューター・グラフィックスで大和の主砲からの砲撃、水上飛行機の飛行を大型スクリーンで見れる。建物の外にある戦艦大和の前甲板の左半分を実寸大で表現した公園を歩いてみた。約130メートルあり、艦橋の位置が展望台になっていて、そこから眺めると、大和の大きさが実感できる! ミュージアム・ショップは入り口の左にあって、Tシャツ、艦船の模型、大和の名前の入った煎餅、饅頭、羊羹、海軍さんのコーヒー、ラムネというのもあって眺めているだけでも面白い。もちろん大和関連の書籍も展示販売されていた。