先日、吉田健一の小説『金沢』は文章に自由自在さがあると書いたが、その金沢の城跡に生息するヒキガエルを9年間観察した奥野良之助の『金沢城のヒキガエル』、1995年刊(どうぶつ社)は読みながら何度も笑ってしまう。副題は「競争なき社会に生きる」。研究の部分も興味深いが、奥野良之助がヒキガエルの世界から見えてくる人間社会を語っているところに、ドジ人間の私には強い味方を得たような気になるから不思議だ。
住む場所はだいたい決めていても、なわばりなどというせちがらい所有権は主張しない。けんかしないから順位もできない。もちろん、ボスガエルなどいるはずもない。それぞれが他の個体に干渉せず、勝手に生きている。ほぼ完全な個人主義者の集まりが、ヒキガエルの社会なのである。 『金沢城のヒキガエル』190頁
奥野良之助の『さかな陸に上がる』1989年刊(創元社)は3億年前の魚がなぜ陸に上がらなければならなかったのかという仮説を語りながら、魚からヒトまでの歴史をたどっている。われわれヒトはその魚の子孫になるのだ。そのヒトになるまでが、この本では述べられている。3億年のドラマが展開されているのだ。そういえば吉田健一にも化石をめぐっての本があった気がする。
戦後日本の発展も、そろそろ極限を迎えているようである。それを、さらなる競争激化によってさらに発展しようとする動きが盛んだが、私はむしろ、いかにうまく停滞するかを考えたほうがいいと思う。もっともそれは、資本主義社会の最も苦手とすることなのだが。
『金沢城のヒキガエル』239頁