杉本秀太郎の『新編 洛中生息』と巨樹

 夕方、頼まれていた植木を刈る。これで二度目だ。脚立を使って背より高い枝を刈り取っていく。年々樹木は伸びてゆく。そして、いつのまにか巨樹になるのだ。京都の洛中に住む杉本秀太郎は『新編 洛中生息』、1989年刊(ちくま文庫)で「時折、樹木が目当ての散歩をする。」と書いている。

 老桜は、やっぱり見るものではなかった。心がしめって困る。気分を変えるには、別の巨樹を見るが一法だろう。翌日、勤めの帰りに今熊野まで、折からの雨中を歩いていった。ここのお祭りがもう近いはずと思って木札をよむと、五月一日が御出祭、五日が神幸祭である。樹齢六百年、熊野信仰の盛んだった世には神の依りしろになった大樟が、電車道の真上まで枝を張り、勢いよく新芽をそろえている。雨滴も染まっていそうな、みずみずしい新緑。だが、きょうのところ、樟脳の匂いでは、桜の名ごりはまだ消えそうにない。   103頁〜104頁