ナツメの実と雑誌の黄金時代

ナツメの実

 朝、涼しくなった。快晴。紫のアサガオや黄色いカンナが咲いている。
 正午過ぎに、通りで蜂に出くわす。顔の前に急に現れて飛び去って行った。ひやっとした。
 足が長かったので、アシナガバチのようだ。興奮している蜂には近づかないようにしよう。
 街路樹に植えられているナツメの木に実が鈴なりになっている。先日、まだ未熟だったナツメの実が、ところどころ赤くなっていた。ナツメの木の下に、赤く熟した実が落ちていたので、拾い集めてみた。
 ナツメの実の大きさを測ってみた。6個のうち、一番大きい実は直径20ミリで長さは27ミリあった。
 熟している実なので、蜜のような液が表面に薄く着いている。触ったら手にねちゃねちゃ感が残った。緑色のナツメの実はリンゴのような味がする。
 
 31日、中村宏さんのお弟子さんに当たられる方から、

 お持ちかもしれませんが、’95⑧の美術手帖です。
 古本屋の100円本の棚にありました。
 重量調整のため用紙を少し切りました。
 悪しからず

 という文面とともに雑誌をコピーしたものが届く。
 
 『ユリイカ』2005年8月号は「特集・雑誌の黄金時代」。
 四方田犬彦坪内祐三の対談、「雑文家渡世」で映画評をめぐって、

 四方田 (中略)ところがいまはインターネット全盛で、「おすすめの映画」情報を無料でいつでも入手できるし、観客はそれを読んで映画館へ行く。そこで私が熱心にコラムを書く動機はもはや見いだせない。
 坪内 最近の映画ライターの映画評は、一つの読み方しかできないんですよ。その映画の原作者は誰で、他にどういうものを書いているかみたいな、ちょっと脇の情報に対してはまったく無知だったりする。比較文化というと大げさですが、雑学がない。僕は読んでも全然面白くないですね。小林信彦さんなんかあの歳で、『週刊文春』(1959−)の連載エッセイにときどき新作映画のことを書いていて、イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』の主人公が勝ち抜いていく時の省略表現のスピード感は、戦前のワーナー・ブラザーズのボクシング映画の伝統的なつなぎ方だ、みたいなことを書いている。それは六〇年映画を見てないと書けないことだし、そういうことがこっちの知りたいことだったりするんです。  45頁

 と語る。それは無用の知識だったり、役にたたないものだったりするのだが、坪内祐三がいうところの「雑雑」がなければ、面白くないんだなあ。