メタセコイアと安原顯の「編集力」

メタセコイア

 街路樹に背の高い木がある。以前から気になっていた。高さは、ざっと見るところ20メートルを越えるか。その木の根元へ近寄ってみた。
 根回りは太いところで3メートルほどはある。この樹の名札が根元から1メートルくらいの位置に取り付けられている。「メタセコイア」(あけぼの杉)。
 根元から仰向くとてっぺんのあたりは、はるか彼方で確認できない。25メートルの高さはありそうだ。このメタセコイアは冬には落葉していた。今はまだ葉は緑色でつやつやして茂っている。
 大木と人との精神的な交流といえば、フランスの森を見せられた映画があった。
 イヴ・モンタンの遺作でもある映画『IP5』、監督はジャン=ジャック・ベネックスだった。老人役を演じたイブ・モンタンが大木に頭を触れ合わせて瞑想するシーン。

 
 夕暮れに公園の池に寄り道する。蛙は鳴いていなくて静かである。コンクリートの縁に座ってじっと池を向いている蛙を見かける。
 あたりの樹木でツクツクボウシが鳴いている。「ツクツクボーシ」と聞こえる。蝉しぐれの頃が、いつの間にかツクツクボウシの鳴き声を耳にするようになった。
 
 『ユリイカ』2005年8月号は、「特集・雑誌の黄金時代」。
 四方田犬彦坪内祐三の対談「雑文家渡世」と山本貴光の「投壜通信年代記」で取り上げられている安原顯について書いてみる。
 安原顯中央公論社の文芸誌『海』の編集者だった頃、作家の小林信彦に連載を依頼する。1983年6月号から1984年5月号まで『海』に連載されたのが、『私説東京繁昌記』1984年9月刊、(中央公論社)。写真を小林信彦といっしょに歩いて撮影したのが荒木経惟
 手元にあるのは、8年の後に筑摩書房から出た『新版私説東京繁昌記』で、「八年ののち」という終章が書かれて増補して収められている。その終章の写真はカラーになっている。この本は自伝的東京論としてもベストかもしれない。
 この頃の安原顯の「編集力」は目を見張るものがある。
 文芸誌『海』は、この1984年5月号で休刊になる。この休刊になる『海』5月号にぎりぎり間に合ったのが、高橋源一郎の書き下ろし『虹の彼方に』だ。今から思うと滑り込みセーフのような気もしないではない。追い込みを軽井沢で缶詰になって書いたとか・・・。(本当?)