『物くさ太郎の空想力』と『クラウン仏和辞典』

 多田道太郎は『物くさ太郎の空想力』1980年刊(角川文庫)の「語学趣味」で、

 戦争中、私は群馬県中島飛行機の工場へ勤労奉仕にやらされた。友人に一人、奇特なのがいて馬鹿でかいリュックサックをかついできている。食料でもつめこんできたのかと皆でのぞくと、なかから出てきたのは書物ばかり。しかも語学の本ばかりである。ラテン語初歩、ギリシャ語コース、ロシア語四週間、といったたぐいだ。ヘブライ語入門といったのまでそろっている。ヘブライ語なんていったいなんにするのだ。そんないぶかしげな顔に、件(くだん)の男は「聖書」を読むにはヘブライ語をやらなくちゃ、というわけである。同窓の学生たち一同、なかば驚嘆し、なかば呆(あき)れた。
 語学趣味ということで、わたしが筆頭に思いだすのは、この人物のことである。  41頁

 と書く。そして、語学初歩を勉強することの楽しみをいろいろ述べる。

 初心というのはいずれは無知なものである。無知と勇猛心が「初心」というものではあるまいか。(中略)
 成功した語学ーーというのもおかしいが、一おう読みかきできるようになった語学には、もう楽しみはないのである。私のばあい、六年も念をいれて大学でフランス語、フランス文学をならい、以来二十数年、フランス語を人さまに教えるという大それた離れわざをやってくると、これはもうはっきり苦の種である。先日も、くるまの発明を呪詛(じゅそ)しているタクシーの運転手に出あったが、私の気持もほぼこれに近い。「お、ウゴキヨル」の快は運転手には味わえない。
 だから、趣味としての語学はいつまでも初歩にとどまるにかぎる。私のロシア語はまさにその好例と、笑えてくるのだ。  43頁

 その足かけ十年ほどの年季の入っているロシア語を、ソビエトの女流作家を、ご自分の研究所へお迎えした時に、口から出てきたロシア語は、

 しかし私は、彼女たちの偉大な風貌に接した瞬間、完全に絶句してしまった。名のある作家たちだから、もちろんそうとうの御年配である。肥りに肥っておられる。ところが、悲しいことに遠い記憶の闇(やみ)から浮びでてくるロシア語はただの一句であった。カカーヤ・クラシーヴァヤ・ドーチカ(何と美しい娘でしょう)!  44頁

 この後、多田道太郎は「外人ずれ」という文章で、調査研究とかいうことでフランスの片田舎へ放り出されたと言う。そのときにフランスの文物におどろいたのではなく、自分の習った語学なるものが、いかに理念的、観念的規則にしばられていたかにおどろいたと言う。

 フランス人のしゃべるフランス語は、初歩の文法できびしく禁じられていることばかりであった。たとえばVous allez oú?(どこへ行くの)といわれたときには、まったく仰天してしまった。oú(どこへ)という副詞が文尾にくるなんてどの文法書にもかいてなかったのである。  47頁

 『クラウン仏和辞典』で編集委員を担当された多田道太郎は、この副詞oúの項目に上記のエピソードを文例として採用している。これこそ生きた用例だといえよう。