野尻抱影のユーモア

 雲ひとつない青空。快晴だ。正午過ぎに川を渡っているときアオサギを見かけた。古い通行禁止の橋の中央の欄干に止まっていた。汗ばむ気温だった。
 夕方、春先の黄砂のように空が霞んでいた。南西の空に三日月、その右下に宵の明星の金星が明るく輝いている。東の空には火星が大きく赤くオレンジがかった色で眺められた。
 野尻抱影の『星三百六十五夜』(中公文庫)読んでいると、7月31日の「錯覚」という文にユーモアを感じた。

 人は宇宙の神秘を太陽に、月に、そして星に求める。しかし、この脚下で直径一万三千キロメートルの巨大な球が、この刹那にも、果てもない空間を秒速三十キロという猛烈なスピードで走っている事実を、時に瞑想すると慄然とさせられる。ただ、それを実感しないままに、無限運動の球ころがしの上に日夜安住もし、いがみ合いもしている。
 だから、たまには天地が転倒して人間が逆立ちし、今にも星空へ墜落しようとする錯覚ぐらいは時々感じていい。それだけでも、人間を謙虚にする足しにはなるだろう。−−こんなことを空想している中にふと、戦争の間、地軸が少しぐらつけば、万事けりがつくのにと考えたことを思い出した。