ふらふら歩く漫遊

 街路樹の紅葉を楽しむ。青空の色と紅葉の赤と黄の色の対比が鮮やかだ。
 雑誌『旅』2004年1月号(JTB発行 最終号)を読む。対談「旅學講座」の西江雅之種村季弘の旅談議が興味を引く。

種村 江戸時代の地図というのは、パノラマというか俯瞰図なんですね。名所旧跡や神社仏閣が絵で描かれていて、そこに行き着くようにすごろく式の地図になっている。だから、どうしても余計なところに寄らずに、名所を回ることになりやすい。今のツーリズムにも、その手法が流れていますよね。団体旅行だと、そういうところにしか案内してくれない。それに対して益軒*1は、勝手気ままに歩いているんですね。ということは、中世からの世界像が一回崩れる時期があったと思うんです。同じようなことは近世、近代でも起こっていて、僕の場合だと戦争前のいろいろな教養が、終戦でぶち壊れてバラバラになっちゃった。一つの信仰なりイデオロギーなりがなくなった。要はニヒリズムの中で浮いているような感覚があって、だから自分はふらふら歩く漫遊しかないのかな、と。僕は団体旅行ができないんですよ。
西江 僕も団体旅行には縁がない。「どこに行っても異郷」というのが、僕の日常感覚です。だから、日常も旅になるし、旅が日常でもある。  168〜169頁

 この年の夏に亡くなられる種村さんの最後の対談かもしれない。「漫遊記」3部作とでもいえる『書物漫遊記』『食物漫遊記』『贋物漫遊記』(筑摩書房)は、団体旅行のできないふらふら歩くしかないのかなと言う種村さんと一緒に歩いているような読後感がある。

*1:貝原益軒、元禄五年(1692年)『壬申紀行』(じんしんきこう)という旅行記