旅の発見

 リヤカーをお借りして本を移動させる。黄色いブックオフの袋に本を入れて積んでいたためか、道中自転車で駆け寄ってきた見知らぬ男に、NTTの電話帳の回収員に間違われた。たぶん、黄色い袋の色が電話帳に見えたのだろう。時速2・5キロメートルの速度で移動すると風景が普段と違って見える。道で、いままで見たことのない模様の猫を見た。白と灰色のまだら模様だった。
 以前、リタイアした後リヤカーに駄菓子を積んで日本を歩いて旅している人に、町で出会ったことがあった。その人は訪れた町でリヤカーを停めて、子ども相手に駄菓子を売っているのだけれど、大人も近寄ってきて取り囲んで駄菓子をあれこれ選んでいるのが楽しそうだった。 
 雑誌『旅』2004年1月号(JTB発行 最終号)の対談「旅學講座」の西江雅之種村季弘の旅談議の続きを読む。

種村 そういう中で旅をどう発見するのか。自分だけの旅のテクニックというか、メソッドをどう見つけるかというのは、これから大変になると思うんですよ。むしろ貧乏人のほうが、やれているんじゃないかな。
西江 そうかもしれませんね。この数十年、経済力がある大人たちは、「時間貧乏」をやっていた。
種村 今の時代、お金を持っているというのは金融でしょう。するとその管理のために、一日中マーケットをチェックしていなくてはいけない。ところが銭のないヤツは、コンビニのおにぎりでも食べていれば生きていけるんだから、時間を全部使えるわけです。今、若い人たちの間で、いかに怠けて時間を沢山持つか、そのために最小の労働だけをやるという人がいますよね。それはある意味、利口だと思うよ。
西江 贅沢者ですね。
種村 その体験を金持ちが買いにきますよ。旅行記というのは、そもそも、そういうものでしょう。そういえばアメリカのある金持ちが、日本に来て有楽町のガード下で焼き鳥を食べて、そのまま鈍行の東海道線で京都まで行くとか言っていたけど、経済的な条件が全部満たされたら、ありきたりの贅沢は馬鹿らしくなってしまうんでしょうね。  170頁