退屈男とのんびりした人

マンリョウ

 朝は快晴。午後すぎには晴れたり曇ったりして来て、夕方に雪がぱらつく。それも止んで夜は晴れ上がった。この時期に山茶花(さざんか)の花や赤い実のマンリョウをよく見かける。
 田村隆一の『ぼくの東京』(徳間文庫)に所収の「わが幻花行」からの引用。

 今年(昭和四十七年)は、ぼくにとって、なんとも妙ちくりんな年であった。ブラブラして、目だけパチパチさせて、(当節流に申せば、シコシコ)鳴かず飛ばずに生きて行きたいというのが、ぼくの戦後のゆるがぬ信条だったのに、やたらに雑文と雑仕事に追われる破目になった。世間の人が、ひっきりなしに「忙しい、忙しい」と云いながら、血相かえて走りまわり、滅多やたらと書きまくるので、ぼくもつい意地になって、会う人ごとに、「閑で閑で仕方がねえや、ああ、退屈だ」などと、アクビまじりで、もらすものだから、まずはじめに「書評」の仕事がやってきた。本がただで読める上に、お金がもらえるなんざ、こいつはこたえられねえや、とよろこんでいたら、アッチ、コッチから口がかかるようになった。そして、いまどき、書評するために、本を二、三日、じっくりかけて読んで、二、三枚の書評をするような、のんびりした人がもうこの世には、ほとんどいなくなったということに、やっと気がついた。つまり、依頼主は、なにもぼくの批評眼を買ったわけではなく、ぼくのひまぶりに目をつけたまでのこと。それから、「神のパン」を得るために、十九世紀中葉のロンドンとパリを舞台にした、ヴィクトリア期の匿名の紳士の性的自叙伝全十一巻のうち、五巻まで訳し、それから、シャーロック・ホームズとイギリスの童話二冊、仏教関係の月刊誌に「有情群類」に関する研究の雑文連載。ポルノと探偵小説と童話と仏教という、まことに珍無類な取り合わせに、追いかけられることになった。  201〜202頁