退歩にとっての読書

 快晴で暖かい日だった。夕方ごろにうす曇りになる。東の空の雲間に月が見えた。ほぼ満月に近い形をしていた。高度は六十度くらいかな。そうこうしている内に月は雲間に隠れてしまった。
 昨夜はラジオ深夜便の「演芸特選 落語」で林家三平の『源平盛衰記』を聴いた。元旦の夜にもあった林家三平の落語である。そのときには聞き逃していた。三平の落語は枕(まくら)の話もいいね。懐かしさも半分あったりして良かった。
 鶴見俊輔対談集『未来におきたいものは』2002年(晶文社)で、片岡義男との対談を読んだ。タイトルは「繰り返し読むということ」になっている。うーむ。面白い。対談の始めに「それで、今日は進歩ではなく退歩にとっての読書とは何かを考えてみたいんです。」と鶴見俊輔は話しはじめる。片岡義男の話に注目する。

 片岡 そうですね。本はただそこに置いてあるだけでもいいし、いつ手を出して、いつ手にとって、いつ開いて、どのくらいよむのか、そして、読んだうちのどのくらいが自分のものになるのかなど、すべて自分の自由になる。ペースを作ることができる。一冊を十年かかって読み終わってもいい。そういう時の流れがひじょうに大事だと思います。  174頁