奥野良之助の『金沢城のヒキガエル』

 朝からの小雨が降ったり止んだりしていたが、夕方には晴れ間も見えて来る。雲が乱れ飛ぶようだ。風もある。
 昨年は、リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』が新潮文庫になった。それはさておき、平凡社から新年の贈り物である。一月の新刊に、奥野良之助の『金沢城ヒキガエル』だ。うれしいな。平凡社ライブラリーの一冊である。しかも、どうぶつ社の時よりも安く手に入る。この本は読みながら何度も笑ってしまう。http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20050522
 上記で奥野良之助の『金沢城ヒキガエル』のことをすこし書いたが、もうすこし本文*1などから引用してみる。

 しかし、人間本来の自由とは、報酬を求めることではないのではなかろうか。逆に、報酬によってほんとうの自由が奪われることはけっこう多い。ほんとうに好きなことは、それによって金を稼ぐ仕事にしないほうがいい。大学にも、ごくわずかだが、ほんとうに研究の好きな人がいて楽しみながら研究をしている。そういう人に限って出世せず、定年まで助手に止まっていたりする。一方、助教授、教授になっていく人の大半は、研究が好きなのではなく出世が好きな人のようである。つまり、本来楽しむべき好きなことを出世の道具として使っているのである。こうなると、好きなことをやってるとは思えない。
 発展期の生物群は、ダーウィン流の生存競争にはげみ、数多くの種に分化していく。ここでも競争原理は発展と結びついている。しかし、永久に発展を続けることは不可能である。発展の極に達し、自然のなかのあらゆる生活場所へ特殊化しながらはまり込み埋めつくしてしまうと、停滞が訪れる。そして、最後は恐龍のように、滅びてしまうのである。
 戦後日本の発展も、そろそろ極限を迎えているようである。それを、さらなる競争激化によってさらに発展しようとする動きが盛んだが、私はむしろ、いかにうまく停滞するかを考えたほうがいいと思う。もっともそれは、資本主義社会の最も苦手とすることなのだが。  238〜239頁

*1:どうぶつ社刊より引用。