大寒の一日だった。夕方まで雨も降ることもなく過ぎる。気象予報が外れた。
朝日新聞で連載の小沢信男の「俳句が楽しい」その5を読んだ。辻征夫についてのエピソードなどに触れている。辻の没後の一周忌に刊行された『貨物船句集』(書肆山田)の最終頁(ページ)にある句、
「満月や大人になってもついてくる 辻征夫」
「お月さんは、歩いても走っても汽車の窓からみても、どこまでも平気でついてくる。ふしぎだなぁ。その気持ちを、どうやら彼は生涯保ちつづけた。いつもどこかポカンとしていた。」と小沢信男は述べる。そして、先週の土曜日が七回忌になるという。俳号は貨物船。
『ラパン』2002年冬号を続けて読む。種村季弘の「雨の日はソファで散歩 [銀座編]」に吉田健一の『東京の昔』(中公文庫)からの引用があった。ふーむ。種村さんも吉田健一の「時間意識」というか時間感覚に引っかかりをお持ちのようだ。吉田健一は『東京の昔』でもそうだし、『瓦礫の中』(中公文庫)、『本当のような話』(集英社文庫)にしても吉田健一の時間論が、繰り返し書かれている気がする。その点は『本当のような話』の解説で清水徹氏も吉田健一の時間意識に注目していたなぁ。
『東京の昔』と『奇怪な話』の担当編集者はヤスケンこと安原顯だったんだね。うーむ。
他に読物として、吉田篤弘の「雲を集める人」が面白かった。
「どんなものであれ、何かを集めている人というのは、集めたものを通して、どこか遠いところを読んでいるわけです」
「遠いところ?」
「ここではない、どこか遠いところです。空間的に遠いところ。それから、時間的に遠いところ。いずれにしても、私の知らないところです。集められたものは、ここにいながらにして、そのような遠いところを読む手助けをしてくれるんです」 31頁