嵐山光三郎の『不良定年』

冬の水辺

 夜半に月は出ていないが星が見られた。寒気団の南下で再び寒さが厳しくなりそうだ。
 先月、嵐山光三郎の『文人暴食』が新潮文庫になった時に稲垣足穂などを読んだのだった。その嵐山光三郎に『不老定年』2005年(新講社)という本がある。新潮社と講談社を足して二で割ったような名前の出版社から出ていた。
 その本のあとがきに「善人定年となるなかれ」とあって、

 この本を企画編集したのは畏友坂崎重盛氏である。坂崎氏はこの本にも登場するおそるべき不良仲間である。
 坂崎氏の企画による私の本はやたらとあって、なにもこの『不良定年』に限ったものではない。坂崎氏は出版社相談役のかたわら名著も多く、私をおびやかすライバルである。

 ふーむ。そういえば、今月の新刊で坂崎重盛氏の『「秘めごと」礼賛』という本が文春新書で出ていた。内容と言えば、この『不良定年』をおびやかすライバル本といえるかな。
 嵐山光三郎の『不良定年』では、「序章・・・・・・不良定年として生きる」が読ませる。この部分は書き下ろし文である。本文は『週刊朝日』に連載していた「コンセント抜いたか!」の原稿を大幅に加筆、構成したものという。
 この本の最後のあたりに種村季弘さんのエピソードがあり興味を引いた。

 朝日新聞の読書週間座談会で種村季弘さんと会ったとき、麻布十番温泉の湯につかりながら、タネさんはガン手術の傷を「ほら、こんなもんさ」と見せてくれた。
 トシをとったら、へらへら笑っていきてきゃいいの。トーマス・マンの『魔の山』を退屈まぎれに読んで、ほかにすることがない、というのがいいの。そういっていた種村さんも逝ってしまった。
 故人を思い出すとにぎやかになる。死んだって一緒に宴会をやりゃあいいのだ。  232〜233頁

 表紙の版画は半藤一利氏の作品を使って装丁されている。