水辺と岸の境目に一羽のアオサギを見つけた。その足元そばの水面に水鳥の一団がぷかぷか浮いている。渡り鳥のカモのようだ。アオサギの足元近くまでカモは近づいて行く。アオサギは、じっとして動かないでいる。カモのほうは、なぜかアオサギの周りにくっつくように集まっていて動きまわっていた。
朝日新聞に連載の小沢信男の「俳句が楽しい」その8を読んだ。「俳句が人生の杖(つえ)とも光明ともなった例として、富田木歩の石碑をめぐっての話に興味を引かれた。
木歩は向島小梅町、つまりこの辺の子に生まれ、幼児に足が萎(な)えて就学も叶(かな)わなかったが、独学で俳句をまなんだ。駄菓子屋や貸本屋をしながら、自宅を俳句仲間のサロンにした。
「行く年やわれにもひとり女弟子」。ほほえましく明るい。
その女弟子も、弟も妹も結核で逝きみずからも病み、大正12年の関東大震災により焼死。享年26歳。「碑は翌年の一周忌に友人一同が建てた。ここ*1にあるのがたぶん一番ふさわしい碑です。」
小沢信男の今日の「俳句が楽しい」は、その9で「芸術運動家」という題。芭蕉が元禄7年10月、大阪の旅宿に病で重篤になった時に駆けつけた弟子たちに「このさまを句にしてごらん」と言った有名な話*2をめぐって、松尾芭蕉の凄腕(すごうで)ぶりを述べている。「うづくまるやくわん(薬缶)の下のさむさ哉 丈草*3」ふーむ。なるほどね。
この数日後に、芭蕉は身まかった。なんとまぁ、慕い寄る弟子どもを死のまぎわまでしごいていた。こんな人が、めったにいるもんじゃないですね。俳諧の革新のために、不断の精進こそ創作の途ゆえに。そこで、「此道や行く人なしに秋の暮」。最晩年の述懐。それみろ、あんまりきびしくて誰もついてこられない。孤高隔絶の人。という解釈も、ごもっともながら、はたしてそうか。