節分と豆まきの由来

 節分。寒気団が南下して来ている。気温が下がって来た。夕方、三日月が晴れ間の空に見えた。薄い雲がゆっくり移動していて、月が見えるのに、牡丹雪がふわりふわり静かに舞い降りて来る。ふわりふわりの雪を見ていると、月が朧月のようになり、またくっきりと輝き出す。牡丹雪が降りながら、星も見える。
 節分の豆を食べる。「鬼は外、福は内。」の由来について、豆菓子の入っている袋の表に、〈豆まきの由来 宇多天皇の昔、鞍馬山の奥の僧正谷という所に住んでいた鬼神が、都に乱入しようとしたので、三石三斗の豆を煎って、鬼の目をつぶして災厄をのがれたと云うことが始まりであると言われています。〉とある。
 袋の裏側に節分の由来が書いてある。〈節分の由来 立春の前日にあたる「節分」は、冬の節が終わり、春の節に移るという事から、この様に呼ばれております。〉ふーむ。もう明日から暦の上では春という訳なのだなぁ。
 『ラパン』2001年春号を読み始める。「特集 個性派書店探検術」とあり、荒俣宏の「ようこそ荒俣まぼろし堂」や「こんな街のブックカフェ」の記事を興味深く読む。その他に森まゆみの「地図に乗って」の七を読んだ。「明治十四年二万分一フランス式彩色地図」という題で、フランス式の地図つくりを学んだ小菅智淵(こすげともひろ)、原胤親(はらあつちか)などの指揮のもとつくられた地図を読み解く。この地図は陸軍参謀本部によるものという。明治十年の西南戦争で地図の不足を感じた陸軍参謀局がつくったものとも。
 上野戦争で焼けた上野と谷中を地図によって時間旅行している。今、上野公園になっているところは内国勧業博覧会の会場だった。その上野の山であった「明治二十三年 第三回内国勧業博覧会」を見て樋口一葉は博覧会の売り子になろうかと検討、と森まゆみは書いていた。「根津や谷中育ちの老人たちにとって、〝上野の博覧会〟見物は子どものころの黄金の思い出のようだ。  『ラパン』64頁」