冬の大三角形

 川岸の水際にカモが四羽ほど泳いでいた。いつも見かける渡り鳥のヒドリガモだ。すると水面にすれすれで低空飛行しながら三羽ほど鳥がやって来た。これもヒドリガモだ。群れが散らばっている川面(かわも)へ着水した。その飛び方は、羽を小刻みに動かしながら飛んで行く。忙(せわ)しない飛び方。まるで自分を見ているようだ。思わず笑ってしまった。『荘子』の「逍遥遊」篇の鵬(ほう)という大きな鳥の話を思い浮かべた。
 夕方、久しぶりに川の浅瀬に一羽のアオサギを見る。じっと立っていた。夕暮れで遠くから見ていると、風景にまぎれて目につかない。ちょっと仙人のような風情で浅瀬に立っている。
 今夜は月が丸く満月に近い形で輝いている。その東の空を右手にシリウスが明るい。そこから右上にオリオン座のベデルギウスがあり、その左にあるプロキオンを結ぶ大きな正三角形、この「冬の大三角形」と月が晴れ上がった空に並んでいるのだった。
 吉田健一のこのほど復刊された『酒肴酒』*1を読み直している。光文社文庫で、『酒肴酒』と『続酒肴酒』の二冊を一冊にまとめているためか、ずいぶん厚い文庫になっている。427ページもある。解説の坂崎重盛氏が言うように「この文庫一冊には、選りどり見どりの宝石がザックザック入っている。」
 吉田健一は「舌鼓ところどころ」の「世界の味を持つ神戸」という文で、詩人の竹中郁(いく)や稲垣足穂花森安治が書くものには共通したものがあるという。

 一種の開けっぱなしな性格で、神戸の町にも確かにそれがあり、これは港町だからとか、海に面していて光線が強いからとかいうような理由だけでは説明出来ない。いつか花森氏に聞いた話では、それは町の歴史が浅くて頭の上からのしかかるものが何もないためだということだったが、窮屈なものがどこにもないのは食べもの屋の店の構えや、そこで出すものの味にも感じられる。 101頁