『今夜も落語で眠りたい』

ネギ畑

 トリノ冬季オリンピックの閉会式を観る。花火、光、音、歌など開会式と対をなすような演出。アトラクションは未来派的なイメージ(?)かな。フィギュアスケート荒川静香選手らの演技が特に印象に残った大会だった。
 結城昌治の『死もまた愉し』*1講談社文庫)を読み返していたら、枇杷びわ)の花の俳句があった。

 枇杷の花売文渡世ほろにがき  第二句集『余色』より

 散歩の途中に枇杷の花が咲いている家がある。近寄って花を見る時に、とても良い香りがする。白くて目立たない花だ。こういう花もいいね。
 結城昌治の『軍旗はためく下に』*2は、暇なときにずいぶん読んだことがあった。しかし、なんといっても『志ん生一代』*3が、いいね。志ん生満州時代のエピソードなどや、落語家古今亭志ん生の講談師時代の評伝が読ませる。他にも、三遊亭円生の話もあった気がする。
 講談というのは、『大辞泉』によると、

 寄席演芸の一。軍記・武勇伝・かたき討ち・俠客伝などを、おもしろく調子をつけて読んで聞かせる話芸。江戸時代には講釈とよばれ、太平記読みに始まるという。

 落語家の古今亭志ん生は、講談師時代にその後の落語という話芸に結実するものを無意識に探っていたのではないか。結城昌治の『志ん生一代』を読んだとき、そんな気がした。
 落語といえば、今月(2月)の文春新書に中野翠の『今夜も落語で眠りたい』*4が出た。〈落語こそ日本文化最高最大の遺産〉(中野翠)。
 うーむ。今夜も落語で眠りたいなぁ。極楽、極楽。