正午過ぎに川を渡っていたら、竹の篊(ひび)が立っている川面(かわも)をカモが泳ぎまわっていた。ヒドリガモの群れで、竹の篊についている海苔(のり)を探しているようだ。晴れて気温が上がり暖かい日である。
通りすぎに、ネギ畑に咲いている梅の木から花の香りが漂って来る。良い香りがする。白梅が満開だ。
蕪村の『蕪村遺稿』の中に、
さむしろを畠に鋪(しい)て梅見かな
幅の狭い筵(むしろ)を畑に敷いて、腰をおろして座り、梅の花をめでる。そんな情景かな。天明三年(1783年)の句で、この句の後に、
遅き日や谺(こだま)聞(きこゆ)る京の隅
うぐいすや梅踏(ふみ)こぼす糊盥(のりだらひ)
この二句も天明三年一月の句である。のどかな京の一日を思い浮かべてみる。
しかし、同じ天明三年の八月に浅間山が大噴火している。天明の大飢饉が起こった時期の少し前の蕪村の句である。蕪村の句には「うぐいす」を詠んだ句が多い。鳥をよく観察しているようだ。蕪村の絵画にも、それが感じられる。「ニューヨーク・バーク・コレクション展」の蕪村の絵は、まさにその観察眼が十分生かされた成果かな。こんな精緻な鳥の絵はあまり見たことがない。
午後の七時半ごろの天頂に上弦の月が眺められた。月明かりでオリオン星座などははっきり見えなくて、おおいぬ座のシリウスのみ見られた。