河原淳の本

白梅

 河原淳の本を読んでいると、いろいろ発見がある。『絵の楽しみ』*11977年(ダヴィッド社)、『青春の自己表現学』1972年(白馬出版)、『体験的フリーライター案内』*21981年(ダヴィッド社)の三冊から、一つああそうだったのかと知ったのは、愚弟と謙遜されて書かれていた河原温さんのことだった。
 『体験的フリーライター案内』には、昭和26年の健康診断で結核が発見され、「慶応義塾大学の塾生であった私は、結核にかかった。」休学を命じられて、故郷に帰り、知多半島にある国立療養所に入った経緯が書かれている。

 負け惜しみでなく、私は結核になってよかったと思う。サナトリウムで闘病しながら、いろんな発見や出会いがあった。月謝を払っても学べないことを学べた。結核菌が胸に巣食わなかったら、私の人生はおそらく変わっていたにちがいない。イラストを描き、文章を書く自由業の道を選んだのも、TB(テーペー)のレッテルと影のためである。 『体験的フリーライター案内』39頁

 河原淳の〝幻の迷著〟『ぼくのカタログ』1954年7月発行(?)というのが、結核の病み上がりで謄写版印刷で刷られたという。わずか二十部しか刷っていない著作。どんなものだったのだろう。
 折目博子さんの『虚空 稲垣足穂』(六興出版)が出版された経緯は、折目さんが足穂のことを雑誌のコラムに書いたのが、富士正晴氏の眼にとまり、それが端緒になったと、河原さんは書かれている。ふーむ。そのエピソードも興味深い。これは、編集者との出会いの話の一例。
 編集者といえば、『コスモコミック』に〝快楽的文章読本〟を連載する話があったのも、その編集長であった坂崎靖司氏からだったという。先日、文春新書で坂崎重盛氏の『「秘めごと」礼讃』*3が出たが、その坂崎氏である。ミニコミを通じての河原さんと坂崎氏の交流がそれまでにあったのだね。
 この本には書かれていないが、詩集『ホモ・ルーデンス』という本を自費出版された坂崎氏が、一五〇部からその一部を河原さんに贈ったことがあったんだね。このエピソードはいいなぁ。