辻原登の『花はさくら木』

キリシマツツジ

 回り道をしている時に、キリシマツツジの密集して咲いている植え込みに出くわした。鮮やかな紅色である。植え込みは十メートルほど連続して花が展開されている。花が枝と葉を覆い隠している。見事だなぁ。『蕪村句集』に、

 つゝじ野やあらぬ所に麦畠(むぎばたけ)
 つゝじ咲(さい)て石移したる嬉(うれ)しさよ
 近道へ出てうれし野ゝ(の)躑躅(つつじ)哉

 アメリカ独立戦争のころの句である。最初の句が安永三年(1774年)、残りの句が同じ安永五年(1776年)である。
 朝日の日曜日の書評で野口武彦が、辻原登の小説『花はさくら木』(朝日新聞社)に触れていたのを読んだ。舞台は宝暦十一年(1761年)の春からで、新聞に連載中は熱心な読者ではなかったので、こういう風に物語の全体像を描いて見せてくれる書評はありがたい。時代考証的に異論もなくはないが、そのへんは目をつぶって物語を楽しめれば儲けものかな。〈田沼と内親王がお忍びで大坂の繁華街を歩く場面は映画の『ローマの休日』を思わせる。〉与謝蕪村池大雅円山応挙上田秋成といった人物を登場させている読者サービスもよい、と野口武彦も書いている。たしか、国東半島の三浦梅園を大坂の豪商鴻池をめぐって登場させていたが、考証的には? といったところもあるが・・・。