山田稔の「ニーノさんのこと」

睡蓮とカエル

 八日に公園の池へ寄り道した。カエルの鳴き声が近づくにつれて大きくなる。睡蓮がつやつやした緑色の葉を広げて、水面に張り付いている。葉っぱの表面にちょこんと座っているカエルを見つけた。池のカエルたちは今が繁殖の季節のようだ。鳴き声が池の周辺に伝わっているのか、通りがかった人が、ちょっと寄っては池をのぞきこんで去って行く。睡蓮の葉が広がっている水面を確かめるように見て、なにやら安心したような顔をしていた。『蕪村遺稿』に、

 朧月(おぼろづき)蛙(かはづ)に濁(にご)る水やそら
 細き身を子に寄添(よりそふ)る燕かな

 どちらも安永三年(1774年)二月二一日の句である。旧暦の二月かな。
 
 『暮しの手帖』2006年4/5月号で、山田稔の「ある眼鏡の話」を読んだばかりなのに、また山田稔のエッセイを読んだ。『文學界』2006年6月号で、山田稔の「ニーノさんのこと」というエッセイである。うーん。この話は、いいね。イタリア語とイタリア人のニーノさんをめぐってである。六十歳を過ぎての手習いと言われているが、とんでもない。山田稔のみずみずしい文を味読する。この文で語られている語学の楽しみについては、すこし後で書いてみようかな。