胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』のこと

ヒメジョオンの花

 通りの街路樹の連なる歩道の道端にクローバーが一面に広がっている。クローバーの白い花が多数咲いている。その中に、やや背の高いキク科の草が、あちこちと生えていた。ヒメジョオンらしい。

 キク科の越年草。高さ三〇〜六〇センチ。全体にハルジョオンに似るが、茎は中空ではなく、花期も遅い。六〜一〇月、白色あるいは淡紫色の頭状花を多数つける。北アメリカの原産で、明治初年ごろ渡来・帰化し、道端などにみられる。  『大辞泉

 加藤芳郎の『加藤芳郎の仕事も人生もプロでなくちゃ』(中経出版)を読んでいて、もうひとつ驚いたこと。胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』に触れているのだが、加藤さんの部隊は、中国の唐山から蜜雲(ミーウン)というところに移動して、万里の長城に接した古北口(クーペイコウ)という街に出動する。ソ連軍と長城をはさんで対峙していた。戦闘は避けられないと思っていたという。

 そのとき、部隊の一部が長城を超えたわけです。時を同じくして各部隊に日本は負けたから戦闘を止めろという命令がきたんです。これには面食らって。そして、長城を超えた部隊は結局ソ連軍に武装解除されてシベリアに連れて行かれてしまいました。長城を超えていなかったわれわれは捕虜にならずにすんだ。これは紙一重の差。またしても幸運。運命のいたずらとしかいいようがありませんでしたね。
 ソ連軍に連れて行かれた部隊の中に、小説『黒パン俘虜記』を書いた故・胡桃沢耕史さんがいました。彼の立場になって考えれば、ソ連の捕虜になったことは不幸です。が、見方を変えればこの不幸によって人を感動させる文学の世界を創造できたのかもしれませんね。  156頁