茂田井武の『トン・パリ』

夾竹桃

 街路樹の夾竹桃の花が満開である。夏を感じさせる花だ。
 公園の夾竹桃も、咲いている。紅い色の花も鮮やかだ。
 公園のハスと睡蓮の生えている池へ寄り道する。ハスの葉が急に伸びていた。カエルの鳴き声が池のあちこちで聞こえる。コンクリートの縁、睡蓮の葉の上にもちょこんと座っている。池の周りを歩き回っていると、通りがかりの人が池へ寄っては、水面をのぞき込んでしばらく眺めては去って行く。鳴き声が公園の遠くまで伝わっているのだろう。その、騒がしいカエルの声に引き寄せられて、人は池に寄り道する。無心に水面をみつめたり、カエルの姿を追ったりしていた。
 書店で、『本』と『新刊ニュース』の2006年7月号をもらう。
 講談社のPR誌『本』で、原武史の連載「鉄道ひとつばなし」を読む。〈「薩長同盟」は成立するか――阪急と阪神経営統合をめぐって〉。小林一三に匹敵するカリスマ的な指導者が必要とされるだろうと言う。
 池内紀の連載「珍品堂目録」は、〈絵日記帳――『トン・パリ』〉と題して、茂田井武という画家に触れている。

 生まれたのは一九〇八年、死んだのが一九五六年。運の悪い世代だった。一人立ちして仕事をはじめようとしたとき、軍国主義とぶつかった。少し出版界で知られてきたころ、出版統制で仕事の場を失った。三十半ばで戦場に送られた。辛うじて生還したが、戦後の紙のひどいころに挿絵を描かなくてはならない。そのなかで、目をみはるような絵本をつくった。谷内六郎の絵が週刊新潮の表紙を飾り出したとき、「アッ、茂田井武だ」と思った人がいたのではあるまいか。
 活躍したのは実質五年あまり。持病の気管支喘息と肺結核が悪化した。それでも床の上で仕事をつづけた。やっと世間的に認められてきた矢先に死去。四十八歳だった。 42頁

 そんな画家だったが、一九三〇年から三三年にかけて、パリに三年ばかり過ごした。パリ生活を絵日記風にかきとめた絵と文章が、死後、ずいぶんたって本になったそうだ。タイトルは『トン・パリ』。うーん。読んでみたいね。