茂木健一郎の「欲望する脳」

アオギリ

 街路樹の青桐(あおぎり)に花が咲いている。高さが一〇メートルを超えた高木。幹の色は緑色。枝も同じく緑色だ。ふーむ。青桐という名前は、この緑色の樹皮に由来するのかな。

 アオギリ科の落葉高木。樹皮は緑色。葉は大形で手のひら状に三〜五つに裂け、柄は長い。夏に、淡黄色の雄花と雌花がまじって咲き、果実は、種子のついた舟形のさやが放射状につく。庭木・街路樹とし、材は楽器・家具用。梧桐(ごどう)。  『大辞泉

 書店で『青春と読書』と『本の窓』の2006年7月号をいただく。
 集英社のPR誌『青春と読書』で、茂木健一郎の連載「欲望する脳」を読んだ。今回のタイトルは〈⑮容易には自分を開かず〉。
 うーん。オモシロイ。痒いところを上手く掻いてくれるような考察が繰り出される。常日ごろ感じている問題に触れているからだろう。

自己を他者に対して、そして世界に向かって開かなければならないのはもちろんだが、狭くてやり切れない自己の内に立て籠もるやっかいな歓びを知らない人に対し、世界はその秘密を解き明かしてはくれない。時には、世間との交渉を第一義とせず、狭い世界の感触にだけ没入することが、思いも掛けない広大な表象空間への鍵を開けてくれることもある。そのあたりの消息を、シンフォニーを作っている時のモーツァルトも、「批評とは無私を得る道である」と看破した小林秀雄も熟知していたのではないか。  31頁

 伊藤若冲の絵をめぐって、〈そのあたりの消息〉のもたらす画境には、どこか現代人の共感を呼ぶ要素があるのであろうと書いている。このあたりの伊藤若冲論の展開はいいね。
 実物を頻繁に見るようになったのは最近のことであるそうだが、なみなみならぬ見方をしているのに感心した。
 同じような経験が、わたしの場合は「ニューヨーク・バーク・コレクション展」で見た与謝蕪村だろうか。アメリカ独立戦争の頃の絵で、鳥の描写力に驚かされた。もちろん、このバーク・コレクションには、伊藤若冲曾我蕭白長澤蘆雪円山応挙などの絵、襖絵もあったのだけど・・・。