本の中で読んだ木々や草花

 夜、NHKテレビの「クローズアップ現代」で、〈さようなら冥王星〜太陽系の新しい姿〜〉というタイトルの番組を観た。つい先日、野尻抱影の『星三百六十五夜』(中公文庫)で、野尻さんが「遠い惑星」という文の中で、冥王星という日本語の訳名をつけた、そのご本人であったと知った。ふーむ。水星、金星、地球、火星、木星土星天王星海王星までの星が、天文学連合総会でこれからは太陽系の惑星であると定義されたんだね。
 それで、さようなら冥王星というタイトルなのだろう。
 平野恵理子の『庭のない園芸家』(晶文社)を読み続ける。

いや、かなりのヘソ曲がりだって、木や花が嫌いという人はいないだろう。ただ、特別に植物が好きな人は、同志を嗅ぎわける力がある。植物に関する知識も経験も情けないほどに微量の私とて、注ぐ愛情は自分なりに精一杯あるつもりだ。とはいえ行動が伴わないのが困ったことなのだが。ともかく、本を読んでいても、「うむ、この人は植物好きと見た」と判断を下すと、もう大方無条件でその作家なら作家を大好きになってしまう。一方通行の友情が芽生えるのだ。「君は仲間だ」と。なんとも図々しい話ではあるけれど、押しかけて行くでなし、大体その「仲間」などと気の毒にも私に思われてしまった方々は、なぜかみな他界してしまった人ばかりだ。  「誰が植えてもバラは咲く」43〜44頁

その筆頭に深沢七郎を挙げている。ちょっと武田百合子の『富士日記』に触れた後の深沢さんをめぐっての文が楽しい。井伏鱒二に師事した小沼丹にもちょっとふれたあと、井伏鱒二の「桃の木」という短編で桃の木に思いをめぐらせる。この「誰が植えてもバラは咲く」で、永井荷風断腸亭日乗』の〈断腸亭〉の由来を語ったあと、植物的(?) 園芸的興奮で永井荷風の日記を読み解くあたりの文もいいね。荷風を植物から見直すといえばいいか。そんなところかな。
 ほかに、幸田文田河水泡との〈読書〉が書かれている。