文芸時評の話

赤い垂れ幕

 公園を通り過ぎる途中、老梅の木のそばのベンチで休む。だんだん暗くなって日が暮れた。ちょっと池の様子を見に行くと、通行止めになっていた。警備員が立っている。迂回して、池へ回ることにした。すると、暗闇の池のそばに巨大なステージが造られていて、赤い大きな幕が掛かっていた。少し離れて右手に巨大な、これはディスプレーが設置されているのだった。赤い垂れ幕のPR用の映像が映し出されていた。
 見ている人は関係者らしき人たちがわずかにいるだけで、他に誰もいなかった。
 そばにいた男に聞くと、たどたどしい日本語で、「トーチ、リレイ、アジア、五十、サウザンド、キロメーター。」と言った。ふーむ。???。
 「ドーハ? カタールの・・・。」と聞くと、
 「はーい、カタール。」と答える。カタールの人かな?
 
 書店に寄る。『本の時間』、『新刊ニュース』、『ウフ。』の2006年11月号をもらう。
 『本の時間』から、長田弘の「幸いなるかな本を読む人⑦ 21世紀へようこそ」を読んだ。

読むとは、古いことばを
新しいことばに更新すること。
古い意味から、新しい意味を
とりだすことである。

 NHK教育テレビの「視点・論点」が今夜は荒川洋治で、文芸時評ということをめぐる話だった。話は、荒川さんが最初に読んだ正宗白鳥文芸時評のことから始まる。平野謙林房雄河上徹太郎山本健吉の『文芸時評』の四冊を「ぼくは、ヒマがあるとのぞいて楽しみます。」と語られていた。
 おやっと思ったのは、40年前の文芸時評で、現在の名作と言われているものを、取りこぼすこともあり、時評というものが錯誤の連続であるとも。
 荒川さんの『文芸時評という感想』(四月社)の本が、テレビの画面にアップで映されていた。*1