奇想天外の仙人たち〜曾我蕭白

ベルのような目玉

 昨夜のNHK教育テレビの「知るを楽しむ」で〈この人この世界―辻惟雄〉は、「ギョッとする江戸の絵画」の第四回であった。今回は「奇想天外の仙人たち〜曾我蕭白」というタイトル。
 辻惟雄(つじのぶお)さんが、三重県松阪市の朝田寺へ曾我蕭白の『唐獅子図』を見に訪れるところから番組が始まる。
 朝田寺の本堂で『唐獅子図』を眺めながら、曾我蕭白の絵の特徴を語ってゆく。
 その絵を「即興的奔放的に見えて、キチンとまとまっている。」とか、「ダイナミックな画面が見事にバランスを取っている。」と話されていた。
 獅子の目玉を評して「昔の自転車のベルのような目玉」であると例えている。
 獅子の爪(つめ)は、「怪獣の牙のような描き方」であると。うーむ。なるほど、確かにそういう絵だ。なにやらユーモラスな絵である。
 蕭白は酒飲みで癇癪もちの人だったようだ。辻惟雄さんによると、「抑えきれないパッションみたいなもの、それが酒の力を借りてワァーと出てきた」とか「自分のからだの中に燃えるものをぶつけて対象化した」と話されていた。
 当時の円山応挙の円山派への対抗意識もあって、じぶんを勝手に曾我派の末裔だと称していた。そうして、アナクロニズムを逆手にとって、アヴァンギャルドな表現を展開した。
 その円山派へ対して、円山派の絵は「絵図」だと言い、「画(が)を求むるなら私のところに来い」と言っていた。むきむきの意図された下品さ、どんな文句があるかっていうような絵。その真意は、「自分はアーティストで、応挙は職人アーティザンである」と。
 番組の後半で、三重県伊勢市中山寺アメリカにある蕭白の絵を、元あった場所に再現する場面があった。江戸時代といえば、窮屈な時代だったと思われるかもしれないが、蕭白の絵に見られるように、大胆で伸びやかな世界があったのだ。毎回、辻さんの名調子が興味深い。
 次回の「ギョッとする江戸の絵画」は、伊藤若冲である。
 参照:http://www.nhk-book.co.jp/shiru/