情報型少年と新聞型少年

イチョウ

 多田道太郎の『物くさ太郎の空想力』(角川文庫)を読むと、「情報型少年」という文で、多田さんが鶴見俊輔さんから贈ってもらった『対談集・同時代』という本をめぐって、ちょっとした鶴見俊輔論を展開していて面白かった。
 その面白かったという文章は、『物くさ太郎の空想力』に当たってもらうとして、もう一つ硫黄島の話がちょこっと登場して来て、これまた驚いた。
 というのも、クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』という映画を観たばかりなので、「硫黄島」という文字を見るたびに、おっと反応してしまうのだ。映画は、アメリカから見た硫黄島の戦いで、当時のアメリカの戦費をめぐる事情を描いているのだった。戦争を遂行するための戦費を集めるために、硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げた兵士六人のうち、生き残った三人の兵士が英雄にされて、祖国で戦費集めのキャンペーンに動員されて行く。
 それはさておき、多田さんは、この文で鶴見さんを「情報型少年」だったとすれば、私は新聞型少年だったのかもしれない、と述べている。
 そして、おやっとおかしかったのは、森本哲郎さんのエピソードだった。

 太平戦争末期、私は、大学生だったが、勤労動員で飛行機工場の工員となり、いっさい情報の才をみせることを禁じられた。ただ、オカミの情報をうけたまわるだけの破目におちいったのである。
 ある日、どういうはずみか、森本哲郎という友人(前に朝日新聞編集委員)の顔を見ていると、ムラムラと「情報欲」がわいて出、「硫黄島がおちたから降伏という閣議決定があった」と、吹いてやった。森本さんはたちまち顔色をかえて、学生諸君にふれてまわり、あげくは右翼学生にひどい目にあわされたはずである。そんなに人を信じやすく、虚報にだまされやすい人が、情報人になり、私のほうはというと学者のはしくれになったのだから、おかしなものである。
 最後に一言、教訓をかいておけば、情報型少年とは、何か不可解な不安にとりつかれている少年らしい、という気がする。とすれば、情報産業とはあんがい不安産業のことかもしれない。  141〜142頁