浦上玉堂の魅力

 一日中、時雨(しぐれ)模様だった。肌寒い。ぶるぶる。こういう時は、蕪村のこの句は、どうだろうか。「禅林の廊下うれしきしぐれ哉」。もう一つ、「古傘の婆娑(ばさ)と月夜の時雨哉」。
 教育テレビの「新日曜美術館」は浦上玉堂をめぐってだった。今の岡山県に生まれて三十七歳で鴨方藩大目付を勤めたが、五十歳で脱藩。以後、二十年旅に明け暮れる。
 七絃琴をおぼえたのは江戸の文人との交流からで、絵画は独学で、子供のような絵心で自分の喜びのために描いているだけだった。自然に生かされている人間を、その絵で表現している。七絃琴の弾き手でもあった。それゆえか、絵画の中に、繰り返しのリズム、音楽性がある描写も感じられる。本人は「画家と呼ばれるのは恥ずかしい。」と言っていた。三百点の山水画を残した。
 番組の中で加島祥造さんが、長野の伊那谷で玉堂の魅力を語っていた。そういえば、加島さんの『老子と暮らす』の中に、玉堂の脱藩の理由のヒントのようなことが書かれていたね。