アレクサンドル・ソクーロフの『ロシアン・エレジー』

 アレクサンドル・ソクーロフ監督特集の一〇作品を一挙上映中の映像文化ライブラリーで、『ロシアン・エレジー』(Elegy from Russia)を観た。六日のみ上映の二回のうち夕方からの回だった。観客は二十五人ほど。1993年のカラー作品で68分の上映時間の映画。12月プログラムのパンフレットに、《夢なのか、それとも死にゆく者の見る幻想なのか、あるいは・・・。ソクーロフが映画の新たな可能性を開いた革命的傑作。》とある。
 映画が始まって最初の何分だろうか、ずいぶんスクリーンが暗いままで時間が過ぎてゆく。時々、うめくような声が聴こえる。いつまで経っても観客は暗いスクリーンを見つめている状態がつづく。そういう暗いままのスクリーンを見つめて、時折白い字幕文字に話し声のセリフが現われる。延々と暗いまま、何も起こらない。ところが、その暗いスクリーン、単調なままのカラー映画だというのにモノクロのような「映像」が、退屈かといえばそうでもないのだ。その間(あいだ)観客は、しんとしている。物音一つせず静かなままスクリーンを見つめているのだ。言葉にならないような声に耳を澄ませて。 
 上映時間の五分の一くらい暗いスクリーンとうめき声のようなつぶやきのような声を聴きながら過ぎる。ようやくスクリーンが明るくなった。と言っても、モノクロのような冬枯れの風景が延々と続く。そして、スライド写真を見せられるように古い写真が、つぎつぎと映し出されてゆく。
 それは、ロシアの町、橋、船、家屋、教会、そして子供や大人たちの写真。
 戦争の記録フイルムに映る大砲を撃つシーン、戦闘場面など。
 森の樹木、風に揺れる草むら、水溜りのような小川のある町外れの光景。
 暗いスクリーンに、話し声、うめき声、物音・・・。
 脈がなくなった・・・という話し声。沈黙があって、穏やかに映画は終わった。
 見ている途中、眠りかけていた。はっと、気づいて目を覚まし、夢うつつで見つづけた。そう、まるで夢を見ているような映画だった。
 ソクーロフの第一作の『孤独の声』はタルコフスキーに高く評価されるが、映画委員会で物議をかもし、以後の作品は当局によりことごとく公開禁止処分を受けたという。ペレストロイカ後にその作品がようやく公開され注目を集めたそうだ。
 ふーむ。そういえば、タルコフスキーの作風に似ていなくもないなあ。
 ソクーロフの映画『太陽』は、映画館で十一月十一日から公開されている。上映は今週末まで。