『無妙記』のこと

ネギ畑

 通りすがりに見るネギ畑が、整然と苗が植えられている。その緑の帯が美しい。
 日が沈んで南の空高く三日月が眺められた。
 書店で文藝春秋のPR誌『本の話』2007年1月号をもらった。
 池内紀の連載「ワキ役の花道」は、第九回《いやじゃ姫 深沢七郎楢山節考」》であった。正宗白鳥が、「私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである。」と言わしめたエピソードも紹介しながら、「楢山節考」をめぐる文が読ませる。
 「さんざっぱら浮世の苦労をなめてきた深沢七郎には、にわか景気に浮かれている世の中が、ちゃんちゃらおかしい気がしたのだろう。頭からザブリと冷や水をあびせるような小説を書いた。」(45頁)

楢山節考』の衝撃力は、いまなお少しも減じてはいないだろう。水ぎわ立った老女おりんと、あたふたして人の好さを見せずにいない辰平は永遠の聖母子像だ。とともに二人がこよなく美しいのは、まわりをひしと「いやじゃ姫」がとり巻いているからである。楢山に群がっていたカラスのように、無数の黒い人影がひしめいている。
「いやじゃ、いやじゃ、いやじゃ、いやじゃ――」  (47頁)

 先日ラジオで聴いた「比叡おろし」の歌を作詞・作曲された松岡正剛さんの編集されていた「ハイスクールライフ」で、深沢七郎の短篇『無妙記』という小説の書評があったけれど、ずいぶん前のことだが、思い出した。比叡おろしというわけではないが、『無妙記』の物語の舞台は京都であった。その最後の一節、もうほとんどナンセンスに近い無常観であろうか。

「おいでやす、この羊羹、一箱七十円で仕入れたんどすけど、三百五十円で買うたらどうどす」と、ひとりの白骨の女が騒いでいた。  (『無妙記』)

 そのあと、中野翠の連載で「この世には二種類の人間がいる」を読んだ。