安岡章太郎の『カーライルの家』

 安岡章太郎の新刊『カーライルの家』(講談社)を読む。
 「危うい記憶」と「カーライルの家」の二篇が収録されている。「危うい記憶」は小林秀雄をめぐる思い出などを語った、自伝的ともいえる文章である。長谷川泰子をめぐる「小林さん」から、ふと聞いた話などを織り交ぜながら、絶妙な読んでいて身体に染みとおるような展開をみせる文章であった。
「小林さん」が、長谷川泰子から逃れるように奈良の志賀直哉の家を訪ねるくだりは、ぐいぐい読まされる。

 小林秀雄氏が奈良の江戸三で丸一年、泊まり込んで暮らしたのは、たしか昭和三年のことである。食事は三度三度、志賀さんのお宅で世話になったが、江戸三の宿代の方も結局志賀さんに払っていただいた。  52ページ

 小林秀雄ソ連旅行をしたときの思い出やエピソードは、ちょうど今読んでいる『ソビエト感情旅行』と『僕の昭和史?』と重なるところである。
 昭和十三年の晩秋に「小林さん」が満州の国境地帯を旅した六年後、安岡さんも北満で、一年ばかり軍隊生活をしており、小林秀雄の「満州の印象」という文章から引用しながら、二人がそれぞれ見た満州での少年開拓団の少年達の運命に思いをはせている。
 「カーライルの家」は、カーライルという名前を安岡さんへ吹き込んでくれた、何人かの人の思い出から、とうとう八十歳の祝いにロンドンへ旅行することになって、カーライルの家を訪れる話である。夏目漱石は『カーライル博物館』で、カーライルの家へ四度も訪れている。そのことに惹かれた安岡さんが、漱石が何を考えてカーライルの家を訪ねたのかと考えをめぐらす。

カーライルの家

カーライルの家