安岡章太郎の「危うい記憶」

モクレン

 通りの街路樹のモクレンが、つぼみを膨らませている。モクレンの花は開くと大きな湯飲み茶碗ほどになるので、つぼみも大きいなぁ。
 ちょっと、つぼみを指で摘むと、ビロードのような滑らかさだ。
 安岡章太郎の『カーライルの家』に所収の「危うい記憶」を読み直す。『ソビエト感情旅行』と『僕の昭和史Ⅲ』での、安岡さんが小林秀雄佐々木基一のお二人とソビエトレニングラードを旅した折の紀行文の箇所が、この「危うい記憶」の中でも、重要な主題の一つになっているようにみえるのだ。

 小林さんの旅の目的は一体何だったのか・・・・・・。
 小林さんは、帰国後、「ネヴァ河」というかなり長文の新聞原稿を書いている。これは、小林さんが出発前に正宗白鳥に会い、白鳥さんがふと、
「ネヴァ河はいいな、ネヴァ河はいいな」と独言するように強く言うのを聞いたことからはじまっている・・・・・・。  「危うい記憶」78ページ

 安岡さんが、なぜこのように小林秀雄の「ネヴァ河」にこだわるのかといえば、《・・・・・・実はこの夏、私も、死ぬ前にもう一度ネヴァ河を見たいという気になり、この夏、四十年ぶりにロシアへ出かけてみた。私が今回泊ったアストリア・ホテルからネヴァ河までなら、距離的に短いだけではなく、道順としても簡単なものだ。つまり、すぐ目と鼻の先きぐらいの所を、ドブンドブンと河面が波打って流れているのが、ネヴァ河だといっても、それほど誇張ではない。》(85ページ)
 ネヴァ河の流れに、小林さんはプーシキンの詩魂やドストエフスキイの思索を重ねている、と安岡さんは思う。