『図書』2007年2月号で、四方田犬彦が最晩年のポール・ボウルズをモロッコに見舞った時の話を書いていた。
ボウルズが英訳の『徒然草』を読んでいたエピソードである。「そういえば最近こんな本を読んでいてねえ」といって見せてくれた後のやりとり。
「この人はぼくより年上かなあ、いくつくらいの人だろう」というので、「十四世紀の人ですよ」と答えると、ボウルズはひどく感心したようだった。そして兼好の考えはE・M・シオランに似ていると思うといった。 24ページ
ポール・ボウルズはモロッコに半世紀にわたって滞在した。そのモロッコへの紀行文である四方田犬彦の『モロッコ流謫』(新潮社)を読みはじめる。
うーむ。面白い。第二章で山田吉彦(きだ・みのる)の「ユニークなモロッコ旅行記」からの引用がある。きだみのるといえば、未知谷から新刊で『きだみのる 自由になるためのメソッド』がある。その目次に、きだの『モロッコ紀行』の時代にふれられているようだ。
第三章で、モロッコで平岡千之(ちゆき)という三島由紀夫の弟に出会った話と、その後の交流の話が興味深かった。三島の作品で『暁の寺』に『ラーマーヤーナ』の芝居が描写されているのは、平岡千之氏がラオス国王へ、三島由紀夫の謁見を求めたことから成立した。それにしても、ラオス国王は若き日にパリで学んだ頃、プルーストの文学の魅力に取りつかれた人だったとは・・・。三島との文学談議に機嫌をよくした王が、その芝居を三島のために特別に、幼げな王子や王女たちに演じるように命じたのだった。
同じ第三章に、四方田にとって流謫者の原型となった人物のひとりである石川三四郎について触れられている。
石川三四郎といえば、多田道太郎の『物くさ太郎の空想力』の「怠惰の思想」でもふれられていたね。
《もう十年も前になるが、川田順造から興味深い話を聞いたことがあった。》とはじまる箇所は、『月島物語』や『月島物語ふたたび』の川田順造との対談での東京下町談議と同じような話であった。
下町の家は西アフリカの部族社会に似ているんですねと、のっけから川田さんはいった。唖然として返答できないでいるわたしにむかって、彼は説明をしてくれた。 128ページ
参照:太田越知明『きだみのる 自由になるためのメソッド』http://www.michitani.com/books/ISBN978-4-89642-182-8.html