確定申告書を提出し終える。ほっとする。
一日中、気温が上がらず、霧雨が降ったり止んだりであった。『蕪村句集」に、
よもすがら音なき雨や種俵
安永九年二月十五日の句である。
13日の朝日新聞で、「奈良・東大寺の修二会(お水取り)は12日夜、長さ8メートル、重さ60キロ以上もある籠松明11本が二月堂の舞台を駆けるクライマックスを迎えた。」という記事と写真を見る。二月堂の舞台を駆ける籠松明からの火の粉がこぼれ落ちる光景を、境内を埋めた参拝者が仰ぎ見ている写真である。
陰暦二月に行われる法会。奈良東大寺で陰暦二月一日から十四日まで(現在は三月)行うものが有名で、お水取りはその十三日の儀式。修二会。 『大辞泉』
この写真を見ていると、国東半島にある岩戸寺の「修正鬼会」に何となく似ているような気がする。
さて、お水取りが終われば、春もだんだん深まってくるだろう。
そういえば、この日本の習俗の中で、火はどのような意味をもっているかを考察している梅原猛の『日本冒険』*1は大変興味深い。
梅原によると、京都の庶民たちは、京都には東にある比叡山に対して西にそびえ、比叡山より高い愛宕山があり、東の比叡山より、西の愛宕山により大きな愛着を感じているようなところがあるという。
盂蘭盆会に行なう「松上げ」という行事ははなはだ興味深い。花背・広河原の松上げはちょうど玉入れの競技のように、二十メートル近くもある檜の先端に、中に藁や柴などが詰められている漏斗(じょうご)状の籠を付け、その中へ小松明(灯籠木)を投げ入れて点火させ、大松明を燃やす儀式である。また雲ヶ畑に伝わる松上げは、「大文字の送り火」のように薪を組んで火文字を書く。どれも愛宕山への献灯である。 19ページ
ここには、西の愛宕山への愛着が、なにに由来するのかをうかがわせるものがある。つまり、愛着の深層心理のことである。火の祭りが各地にある。和歌山県新宮市の火の祭り、お灯祭をめぐる考察で、一万年の縄文文化を切り口に日本文化を考える梅原猛の「日本冒険」の旅は、まえがきにかえてで、《このような異界探求の旅に上ったのは私一人ではない、様々な先駆者があった。折口信夫と平田篤胤。私はこの二人の私の旅の先駆者に花輪を捧げて、この旅を続けたのである。》