杉本秀太郎の『みちの辺の花』

イチョウ

 五月二日は雑節のひとつで、八十八夜である。

立春から八八日目で、五月二、三日ごろにあたる。このころから農家は種まき・茶摘み・養蚕などに忙しい時期となる。[ 春]「霜なくて曇る八十八夜かな/子規」  『大辞泉

 通りの街路樹のイチョウの木に若葉が茂って、葉の付け根に花をつけている。
 都市の片隅を生き場所にしている植物をめぐる話で、杉本秀太郎の『みちの辺の花』から「蕗の薹」を読んだ。
 筆者は京都の四条坊城で市バスを待っていたとき、脚もとの角格子の溝ぶたから西洋タンポポの花が咲き出ている光景を見る。その直後、ハイヒールのかかとがその溝にはまって脱げてしまった女性のヒールを連れの男性が引っこ抜く。だが、タンポポの花が押しつぶされていた。

「そういうことなんだな」
わたしはつぶやいて、折から目のまえにとまった市バスに乗った。車中で考えてみる。
「そういうこと」とは、どういうことだったのか。いのちの必然と、いのちの偶然との絡まりを「そういうこと」として感じたのだとみずから納得。 16〜17頁

 その後、同じキク科の植物、蕗のとうのにがい味について話が展開される。炭太祗の句、「花活(はないけ)に 二寸短し 富貴のとう」。
 太祗は江戸の生まれで、四十歳を少し過ぎたころから京都に移り、島原廓(くるわ)中に住んで、蕪村、几圭(きけい)、嘯山(しようざん)らと交流があった。
 蕪村の句に、「莟(つぼみ)とは なれも知らずよ 蕗のとう」。これらの蕗のとうの句を引用しながら、江戸も末近くには誰も知らなくなっていた俳人蕪村を、「明治の世にいたって、蕗のとうのように香り高く、少し憂いのにがみをそなえた俳人蕪村をさぐり当てたのは正岡子規であった。」と結ぶ。
 昨年(2006年)、文庫本になった。絵は安野光雅
みちの辺の花みちの辺の花 (講談社学術文庫)