「小実昌さんのこと」にふれて

ネムノキ

 気温がぐんぐん上って夏日だった、蒸し暑いが、適度な風もある。夏が来ると思い出すではないが、ネムノキにつぼみが膨らんでいる。小さな粒粒のつぼみがボールのように密集しているのだった。

マメ科の落葉高木。東北地方以南の山野に自生。葉は羽状複葉で、互生し、小葉が数十枚並んでつく。夜になると、小葉が手を合せたように閉じて垂れ下がる。夏、淡紅色の約二〇個からなる頭状の花をつけ、夕方開花し、紅色の長い雄しべが傘状に広がる。豆果は平たい。ねぶのき。ねむ。  『大辞泉

 保坂和志の『生きる歓び』所収の「小実昌さんのこと」を読む。田中小実昌さんが亡くなられ時に書かれた追悼文である。
 以前、ラジオ深夜便の「こころの時代」で「笑わぬ小実昌」と題して、野見山暁治がゲストで出演した番組があって、聴こうとしていたが眠ってしまい聞かずじまいだったことがある。
 『アメン父』(河出書房新社)と『ないものの存在』(福武書店)という田中小実昌の二冊をデイパックに入れて呉駅前に立った時、左手の方の小高い山の中腹が、『アメン父』の教会が建っていたあの辺りになるんだなあと思ったりした。戦艦大和が建造されていたころの呉市のことを、『アメン父』の冒頭で小実昌さんは書いている。
 『ないものの存在』は、五つの短編が収められているが、そのうちの二つ『クラインの壺』と『言うということ』が面白いと思う。
 何が面白いかと言えば、いわば小実昌さんの認識論とでも言えるスリリングな思考過程がうかがわれるからだ。