森岡まさ子さんとマッカーサーの話

ハス

 梅雨の中休み。池に寄り道する。ハスの花が散って、花のあとの花托(かたく)が大きくなり、逆円錐状でハチの巣のようになっている。ハスの種が穴から顔をのぞかせていた。
 蕪村の句に、

吹壳(ふきがら)の浮葉にけぶる蓮見(はすみ)哉

 明和五年六月二十五日の句である。吹壳とは、刻み煙草の吸殻。
 昨夜のラジオ深夜便の「こころの時代」は、「出会いは人生の宝〜97歳を生きる」というタイトルで、森岡まさ子さんの語る話を聴いた。
元MGユースホステルのペアレントをされていた人。今は自然の森MGと建物も新しくなって名前を変えている。古い方も、新しい方も何度も訪れて泊ったことがあるので、懐かしくお話を聞かせてもらった。
 昨夜の話は、ご本やミーティングでも聴いたことのある話だったけど、森岡さんが秘書を勤めていたことのあるフォスコ・マライーニさんから、軽井沢から電報が来て、被爆した夫を連れて行って、マッカーサーに会ったときのエピソードに吃驚する。
 「酒かすとホープを二本入れて岡山まで行くんですが、行けないんですよ。三日がかりで軽井沢に着くんですよ。」
 マライーニさんは七カ国語ができた、それで当時マッカーサーの秘書をしていた。森岡さんは、夫とマッカーサーに会う。すると、マッカーサーは赤い玉の薬を夫にくれたんですが、夫は怒ってその薬をマッカーサーへ投げつけた。
 被爆して治療中の夫は、
 「馬鹿野郎! 人道にはずれる。
 さあ、大変。その土壇場でマライーニさんからのユーモアの助け舟があって、事なきを得たのだった。
 そのあと、マライーニさんから、あなたがPXへ入れるようにマッカーサーに言ったからと言われる。田舎に夫を残して、お金を稼ぐためPXのある服部ビル、そして松屋に変わって松屋でPXに勤めることになる。
 「主人は、あの山の中で、どうしているんだろう。パパが心配で、止めて帰るんですが・・・。」
 「主人が旅が好きで、旅に出たい。それで、北海道に行って、おれは嬉しい。私たちには子供がいない。安く若者を泊めるユースホステルがある。お金もなかったんですが、自宅の四畳半からユースホステルを始めたんです。吉田松陰松下村塾も四畳半から始めたんだ。と言っていた夫。」
 といった旨のお話を興味深く聴く。
 参照:自然の森M.G.ユースホステルhttp://www.fuchu.or.jp/~mgyh/
「人間げんき紀行」http://kumanichi.com/tokushu/ningen/kiji/20070410.html