七月七日は、二十四節気のひとつ小暑である。
暑さが本格的になる時期という。
街路樹にツバキの木がある。近寄って枝を見ると、実が生(な)っていた。ツバキの果実である。大きさや形は小さな柿といったところだ。
触ってみると堅いし、つやがある。蕪村の句に、
花か実か水にちりうかむ夏木立
安永三年四月二十一日の句である。
ラジオ深夜便の「ないとガイド」で、「自然に親しむ」は今夜は明石 勇アナウンサーの担当日。今月のゲストは内山 節氏であったので、ちょうど今、「小栗康平・内山節の往復書簡」を読んだばかりなので、注目して聴く。
最初は、上野村の野菜の出来具合の話から始まる。「山へ行くことはありますか。」と明石アナウンサーが尋ねる。
「村の人間は目的がなければ山に行かないんですね。一年に知り合いを連れて山へ行くことがありますが・・・。」と内山氏が話し始めて、聴いているとサワグルミや、シオジの原生林(国有林)の話が面白い。
そういった山や樹の話から「自然論」の話にいつの間にか入っていくのだが、聞き手の明石アナウンサーの談話が絶妙で内山氏から、「自然論」を上手く引き出している。
村の人間の自然観にふれて、大きな木というのは、山の神様の休む木ということで残されているんですね。ここは神様が休憩する木だということになりますと、どんなに(値段の)高い木だと分っても切りませんね。
昔の人は自然に対して畏敬の念をもって自然とともに生きていたんですね。修験道について、何とか自然と一体になって生きて行きたいと思っていたんですね。ただ、証拠は残っていないんですね。
言葉で表現しようとしなかったんですね。山で滝に打たれ、歩き回ったり・・・。