マッカーサーを叱ったもうひとりの男

 朝、八時十五分にサイレンが鳴る。一分間の黙祷。
 NHKの番組で、「その時歴史が動いた」があるが、「マッカーサーを叱った男 〜白洲次郎・戦後復興への挑戦〜」というタイトルの番組を昨年(2006年)見たことがあった。
 そのマッカーサーを叱った男が、もう一人いた。
 先月のラジオ深夜便で、「こころの時代」に、「出会いは人生の宝〜97歳を生きる」と題して、森岡まさ子さんの語る話を聴いた。夫の敏之さんと軽井沢でマッカーサーに会った時のエピソードを話されていたので、そのことを書いた。
 参照:「森岡まさ子さんとマッカーサーの話」http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20070703
 森岡さんの『煎り豆に花が咲いた』(朋興社)に、夫のマッカーサーを叱ったときの描写があるので、すこし引用してみる。
 昭和二十一年夏である。

 その時、フォスコさんは、マッカーサー元帥の秘書として、軽井沢に来ていたのである。彼は、夫の怒りを、原爆の恐ろしさを、直接マッカーサーに聞かせたいと言った。同じ軽井沢の万平ホテルに、避暑に来ていたマッカーサーは、フォスコさんのはからいで、夫に会う事を承諾した。面会の日、フォスコさんが通訳だった。夫が言いたかったのは、〝なぜ、原爆を落としたんだ〟〝人間として、ひどすぎるとはおもわないのか〟という二点に尽きた。
 マッカーサーは〝人道的な行為ではないと思うが、我々には、どうする事も出来なかった〟という意味のことを答えた。そして、病気を一日でも早く治してほしいと、ビンに入った薬を夫に手渡した。五センチほどのビンに、赤くて丸い粒が入っていた。夫は言った。「こんなもの、日本の肝油と同じじゃないか。広島に、はじめて原爆を落としたのに、なぜ、これが効くとわかるんだ。そんな事で俺はごまかされんぞ」
 そして〝馬鹿野郎〟と怒鳴りながら、いきなり、マッカーサーに薬ビンを投げかえした。とめる暇もなかった。サッと、緊張した空気が、その場に張りつめた。憲兵も緊張して身構えている。私も息を飲んだ。殺される。夫も私も殺される。そう思った。マッカーサーは呆然としていた。こんな場面を誰が想像出来ただろう。フォスコさんが、すかさずマッカーサーにとりなしてくれて、その場は何事もなくおさまった。
 後で考えると、よく無事だったと思う。いかにとりなそうと、マッカーサーはそれを無視出来る立場の人だ。それなのに、マッカーサーは何もとがめなかった。それどころか、夫の投げつけた薬ビンを私に手渡してくれたのである。  41〜42ページ