内山節氏の「自然に親しむ」を聴く

イチョウ

 通りの街路樹が紅葉して、落葉が歩道に散っている。
 蕪村の句に、「ひつぢ田に紅葉ちりかゝる夕日かな」。天明三年十月二日の句である。*1
 今夜のラジオ深夜便は、明石勇アナウンサーの担当日である。「ないとガイド」の「自然に親しむ」は奇数月で内山節氏がゲストだった。
 明石アナウンサーが、番組の始まる前に内山氏にお会いした時に、開口一番、ちょっと憤りながら、米の出荷価格が安くてとおしゃられていたことをめぐって、冒頭の話は今年の米の値段から始まる。
 毎年毎年、米の値段が下がっていて、最盛期の半値くらいでしょうか、一俵(60キロ)が14000円台くらいで、これでは農家はやっていけないのではないかと・・・。これでは、農家が米作ろうという気持ちがなくなっていくかもしれないですね。
 この社会(農村)が維持できるのかなという問題。森を維持していくことが出来るかという問題。日本の文化といっても、都市から生まれた文化もあるんですが、農村社会から生まれた文化もあって、そういった文化が消えていってしまったときに、そこに歴史的にはぐくんだものがあるんですが、それを失ってしまっていいんだろうか・・・。
 もともと日本の人たちが感じてきたことは、自然の景色の中に生命の流れがあるということだったような気がするんですね。
 森があって、川があって、田畑があって、最後に海があって、そこに生命が流れていく世界があって、その世界の中に私たちは生きている。
 生命が流れていく世界に生きているということが感じられなくなっていってしまうと、やっぱりこれは問題があると思いますね。
 気仙沼の漁師さんの言葉「森は海の恋人」、森が海のプランクトンをつくっている。
 森と海との生命の流れからダムの功罪にもふれる。技術力に過信しているのが今の問題を作り出したとも語られていた。はっとするような「自然論」が興味深い。
 放送センターのそばの森をめぐってで、ほっとけば自然は森に戻っていく。そういう所に私たちは生きている。
 山の中の農家で扇風機を回していると、かならずオニヤンマが涼みにやって来る話から、人間が手を加えた自然の生きものと人間の共生のなごやかな話題が面白い。
 赤トンボは水田が広がることによって増えた生きものだそうだ。

*1:ひつぢ田―刈り跡から穂の出た田。