佐田尾信作氏の話を聴く

 大人のための図書館セミナー「風の人 地の人―宮本常一という世界」を聴きに、夕方図書館へ寄る。講師は佐田尾信作氏。会場の四階の大会議室の聴衆は定員の百名ほど。司会は館長の吉田氏で、6時から始まった。
 宮本常一の残した仕事とその今日的意義について、中国地方での足跡を中心に取材を続ける佐田尾信作氏が話された。
  宮本常一の旅の足跡(パワーポイント画像)
 スクリーンで宮本常一の訪れた土地のスライド画像を見ながら佐田尾氏の説明を聴いた。
 最初に、生まれた山口県周防大島の画像からはじまり、昭和14年の11月からの民俗調査。この西中国山地の探訪で島根県田所村(現在の瑞穂町)で田中梅治氏に出会う。出発地は江津から、田所、大朝、八幡、日原と西中国山地の山村を歩く。
 松永、豊松、三原も宮本に縁の深いところでした。三原市史を請け負って30年かかって出している。三原は日本の縮図であるから、面白い。豊松村には中世の社会の景観の残存がみられるとして、ほれ込んだ土地。
  宮本常一と広島
 宮本常一と広島とのかかわりは、天王寺師範の学友が中国新聞社にいて戦後何度も立ち寄っている。その後、中国新聞の金井利博を知り、その縁で民俗学者神田三亀男も知る。
 1956年に中国新聞夕刊に半年間161回連載したものが、1958年に『中国風土記』として刊行される。
 広島の移民はなぜ発生したか。えびす信仰にも関心が深かったようです。
 宮本さんは前書きと後書きの名手であるそうだ。岡本太郎の『神秘日本』は、宮本さんのサジェスチョンがあるという。写真家・思想家の岡本太郎という顔に触れられている。広島の花田植えと比婆牛を撮った岡本太郎。うーむ。これが、沖縄、縄文文化の関心へつながるという指摘であった。
  考察『忘れられた日本人』
 この本で書かれている例の「土佐源氏」の問題点なども語られていた。とても微妙な判断の分かれるところかもしれない。
 私が『忘れられた日本人』という本を読んで強く印象に残っているエピソードは、田中梅治氏の住んでいる田所の食生活の話かな。板ワカメを焦げ目が付くくらい火であぶって、もみほぐしてご飯にかけて食べるというところ。それと今夜、佐田尾氏が話されていた国有林調査で大朝の鳴滝と岸田家の話かな。
  考察『日本文化の形成』
 日本列島と日本人の起源論を説く未完のままに終わった宮本常一の最後の仕事について、佐田尾信作氏が、赤坂憲雄さんへインタビューした新聞記事のコピーを配ってくれていて、駆け足だったけども講演を終えた。

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

宮本常一旅の原景 (なぎさの記憶 (2))

宮本常一旅の原景 (なぎさの記憶 (2))

宮本常一という世界

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