静なるかしの木はらや冬の月

上弦の月

 17日の夕方、上弦の月が高く昇っていた。鏡のような川面(かわも)に月が映っているのだった。蕪村の句に。「静(しづか)なるかしの木はらや冬の月」。
 多田道太郎鶴見俊輔の『対談 変貌する日本人』1986年(三省堂)を読む。現代風俗研究会の活動を背景としてなされた雑談風の対談。
 そのなかに、加藤典洋の「リンボーダンスからの眺め」という論文(国境論)を読んで、とても面白かった、と言う多田道太郎の話が興味を引いた。(241〜246ページ)

 すべての近代国家は、国家となった天皇制もふくめて、加藤さんの言うとおり、近代スポーツのハードルみたいなもので、上へ上へと越えようとする。ハードルを高くして、それが越えられると列強の仲間入り、というわけ。  242ページ

 印象に残った言葉、「(リンボーダンスの)ハードルが低くなれば、一つは姿勢、しぐさを変えてゆくという知恵もある。たとえば反り身にならないで、地面を這うというやりかたもある。
 ほかに、《第1章 「飢え」から「飽食」まで―食の戦後史》に、お米をはかる単位であった一升・一俵・一石、そういうものが文化の体系として消えてしまったのが、昭和45年くらいじゃないか、と多田さんが発言している。
 対談で、当時の米の値段を多田さんが遊び半分に計算している箇所があり、一俵をキロに直すと57キログラム。当時の配給米をキロ420円として、57を掛けると23940円になる。
 今年の秋の米価が一俵が14000円台である。20年ほどで米価が半分近くに下がっている。米作の専業農家はちょっと大変ですね。
 まえがきに、鶴見さんが「日本の変わってゆくのに、毎日驚いている。今は老人の眼で見て驚いているのだが、小学生のころはこどもの眼で見て驚いていた。(中略)今は何に向かって変わってゆくのか。まだはっきりしないままに、ともかく急速に変わっている。その変化を、衣食住のくらしかたの上でたどってみたいと思った。」